永劫回帰ロジスティクス(ヴァレ虐 再録) - 2/2

 

ヴァレーはいつもと変わらず、バラ教会の前でリエーニエの夜空を見上げていた。まるで変り映えのしない風景。

——一体いつまで、ここで待ち続ければいいのだろう。
彼は今、密かに苛立ってもいた。大ルーンを手にした褪せ人を唆し、爛れた血指を渡したのが、もうずっと、前の事のように思われた。

「あの彼は、見込みがあると思ったのですがね……」

大きな溜息をつくと、揉みしだくように指を撫でさする。
血指によって褪せ人狩りが行われれば、この身体を流れる血の祝福により、すぐにでも目的が達成された事を感じ取れる筈なのに。
その兆候は、いつまで経っても彼の身体を喜ばせはしなかった。

目に映るのは通り過ぎる二人組のしろがね人、そして戯れる子蛸を見守る、親蛸の姿くらいなものだ。

ヴァレーはカンテラの前に腰を下ろすと、リエーニエ特有の浅い湖面に遊ぶ蛸の親子連れをぼんやりと眺めた。
親蛸は抱卵しており、体表の一部にびっしりと卵状の球体が張り付いている。彼はそれを横目で追いかけながら——ご愁傷様、と心の内で呟いた。

つい先日の事。ヴァレーの元を、星見の褪せ人が訪れた。褪せ人はいつもと変わらずに、ひとしきり無駄な話を繰り返すとバラ教会を立った。
ヴァレーはその直後に、彼が親蛸に襲われるのを目撃したのだった。

「う、ぎゃぁぁぁぁああっっ!!」

親蛸は産卵前で気性が荒く、栄養を求めて辺りをうろつき回っていた。ヴァレーが叫び声を聞き付けた時にはもう、無数の触手に担ぎ上げられた哀れな褪せ人の身体は軋んだ音を立てて締め上げられ、無情にも骨の砕ける音をごきり、ごきりと辺りに鳴り響かせていた。

——あれはもう、助からない。
特に見込みのない褪せ人の祝福を願う気もなく、蛸の用済みとなって湖面に打ち捨てられた元褪せ人の肉塊を何とも無感動に見下ろしたものである。

そうした変化のない日々の繰り返し。退屈も極まろうかという、まさにその時に——異変は起きた。

青地に光る乳白色の星々を、厚い靄が覆い隠していく。
突然の変化に、リエーニエに住まう者達は驚きに辺りを見渡す。それはヴァレーとて、例外では無かった。

更に上空から、冷気がどうと流れ込む。吐く息は白み、凍て付く雪原の如き寒さが一帯を包み込んだ。ホタルの群れも飛ぶことをやめてしまったのか、周囲はいっそう暗くなり、死すらを予感させるほどの静寂が辺りに満ちた。
ヴァレーは目をみはり、はっと空を見上げる。
覆われていた靄の向こう、星がうっすらと瞬いたかと思った瞬間——夥しい数の青白い炎が、この地へと無数に降り注いだのだ。
それは目にも止まらぬ速度で地表に到達すると、亡者や怨霊、死に生きる者達へと次々に姿を変えていった。

「……な……ッ!? これは……?!」

ヴァレーは降りしきる霊炎を避けながら、バラ教会へと逃げ込んだ。そしてすぐさま褒章を掲げると、自らの王朝へと退避を試みた。
——だが、その試みは不発に終わった。褒章は彼の呼びかけに応えず、無情にも沈黙を貫いたのだ。

「なぜ……一体何が起きたというのです……!」

気が動転して立ち尽くしたままでいると、異変を感じた血の貴族が、バラ教会特有の赤い泥濘から姿を現した。ヴァレーはその姿を見るや、直ちに彼の元へと駆け寄る。
見知った者と、異変について分かち合おうとした、次の瞬間。

血の貴族の身体を、何かが深々と貫いた。

「——え?」

フードの暗がりから夥しい量の血飛沫が飛び、白面をびしゃりと赤く染める。
目の前で崩折れていく、黒衣の姿。
何が起きたのかも分からず、ヴァレーは呆気に取られた。
同時に、背後から呪言のような声が聞こえた。
地の底から湧き上がるような、余りにも不気味なその声に、ヴァレーの背にぞわりと怖気が走る。
敵襲かと振り向いたその先には——見たこともない、異形の生き物が立ちはだかっていた。

ヴァレーはこの地でも、自らの住まう血の王朝でも、およそ正常な人間の直視に堪えないような生き物を、見飽きるほど目にしてきたつもりだった。
血膿を噴き出し、爛れた皮膚をぶら下げた大鴉。血の病に侵された、瘤だらけの野犬。表皮の全てを剝がれたような、終わりなき苦しみに喘ぐ、かつて人であったもの。生きた肉を食い破り、蛆を産みつけて飛び回る血蠅の群れ。
だが、目の前の異形はその全てを塗り替えてしまうほどに異質で、不快で、不気味で——おぞましかった。
だらりと伸ばされた細く、不自然に長い枯れ枝のような手脚。
瘦せさらばえて骨の浮き出た胴。その表皮は死人のように干からび、黒くひび割れている。形そのものは人のようではあるが、手脚の長さ、そして大きさは倍ほどもあるだろう。
ヴァレーが見上げたその先には、当然のように異形の顔が存在する——筈だった。

だが、そこにあるものに、彼は瞬きをすることも、息をすることすら忘れてしまうほどに戦慄した。
それは何とも形容し難くはあったが、夥しい数のミミズをあらん限りに腸管に押し込めて、はみ出す事をも厭わず、胴体の上へと無理矢理に接ぎ合わせたような。恐ろしく奇怪な代物。
腸詰めにされ、ぐにゅりと押し出された肉塊にも似たミミズ達は、生物としての頭部があるべき場所で、気でも狂ったかのように、うぞうぞとのたうち回っていた。

「……な……ッ……、あ……」

ヴァレーはあらん限りの声で叫んだ。だが、口から零れ出るのは恐怖で強張った声帯から掠れるように押し出される、声にならない声だけだ。
腰から下はくだけ、へたりと座り込んだ身体には無様にも力が入らない。
ご自慢の武器である、麗しい花束のメイスを出すいとまもなく——惨めにも後退る事しかできなかった。

思うように動かせない手足を何とか奮い立たせると、彼は地面を掻き毟り、這うように異形の怪物から離れようとした。
辺りは暗く、青白く光る怪物たちの他には何も見えない。
ずるずると、こわばる身体を引きずるものの、バラ教会の崩れた石壁に、どさりと背がぶつかる。
ヴァレーは無情にも、それ以上の退路が断たれた事を知る。
最早、万事休すだ。

「モー……グ……さ、ま……ぁッ……」

やっとの思いで形になった声は、彼が心から敬愛する血の君主の名を呼んだ。それと共に、ヴァレーは幾度も握り込んだ褒章を祈るように掲げた。その願いが一瞬のうちに、このおぞましい悪夢を終わらせるに違いないと信じて。

「なぜ……嘘……!」

しかし、彼の君主は応えなかった。目の前の悪夢は、依然現実のままだ。
異形は顔面からあぶれたミミズをばたばたと垂れ落としながら、ゆっくりと、白面の男に近づいていく。
ヴァレーの脳裏には先ほどの貴族の最後——そして、親蛸に締め上げられ、食い散らかされた褪せ人の姿がありありと浮かんでいた。

——この私が、こんなところで惨めに殺されてしまうのか。ああ、そんな事、決して許されるわけがない。なぜ、どうしてお応えくださらないのですかモーグ様……!

へたり込み、がたがたと震えたまま異形を見上げる白面の男を、ミミズの怪物は躊躇なく掴み、ゆっくりと持ち上げる。

「ゔ……ぐっ、ぎ、ぁ゙あ……っ!」

枯れ枝のような腕から繰り出される胴への締め付けは、想像以上の苦痛を齎した。
腕の骨はミシミシと軋みを上げ、肋骨は圧迫され、息を吐く度に、さらに指が強く食い込んだ。
持ち上げられた身体は、ミミズが狂ったように蠢き、ひしめきあう只中へと運び込まれていく。

「いや……う、あ゙ぁぁぁぁっ!!」

ヴァレーは半狂乱で叫んだ。もはや喉がつぶれてしまうほどに、あらん限りに声を張り上げた。それが何の抗いにもならないと知りながら——それでも迫る恐怖に、そうせずにはいられなかったのだ。
ミミズの怪物はヴァレーを包み込むと、ひと息にごくりと呑み込んだ。骨が軋み、窒息寸前まで締め付けられた身体は無抵抗にも等しい。丸呑みされるまでの間、彼は身動きひとつ取る事も叶わなかった。
呑み込まれる寸前に見た、ミミズの蠢きに反して——ヴァレーの身体はゆっくりと、だが確実に蠕動運動によって、異形の内部へと送り込まれていく。
不幸とみるか幸いと見るか、内部には、歯のような突起物は皆無だった。数多の蠢く触手を抜けた先は食道か、ぬるぬるとした粘膜の層に、身体はぎっちりと包み込まれている。

そこは狭く、熱く、ぬるついて、肉質の空間だった。
身に付けていた白面のゆえに、ヴァレーの口元には未だわずかな空間が確保され、息が続いていた。
だが、それも束の間の事。仮面の隙間は徐々に、どろりとした粘液に満たされ始めていた。纏わりつくのは粘液、それとも消化液の一種なのだろうか。

「……ん、ぐ、ゔぅ……ッ!」

身を捩って耐えようと試みたが、ゆっくりと白面の隙間を埋める粘液はついに、ヴァレーの鼻と口元全てを覆い尽くす。
——もう、息ができない。
これでは数分と立たぬうちに、酸素の供給を絶たれた肺は限界を迎えるだろう。更に始末の悪いことに、先程の締め付けでヒビの入った肋骨は、肺が収縮する度に脳天を貫くような鋭い痛みを絶え間なく与えた。

「んぐっ……ぶ、は……ッ……!」

刺し込む痛みと息の続かない苦しみに耐えかねて、そしてあるはずのない酸素を求め——彼の口が大きく開かれた。
だが、そこにあるのは異形の粘液だけだ。ごぶごぶと、得体の知れないそれが開かれた口に勢いよく流れ込む。
彼は薄れゆく意識の中、腰のベルトに備えられていた短刀を掴むと——肉壁の内部に刃先を思い切り突き立てた。

「…………ごほっ! うげっ……ぐえぇえッ……!!」

ぐしゃりと地面に叩きつけられた衝撃で、ヴァレーは吞み込んだ粘液を全て吐き出した。決死の抵抗が功を奏したのか。断たれていた酸素が全身に行き渡る感覚に、束の間の安息を得る。

「ぐは……ッ、はぁっ……、はぁ……ッ……」

周囲には、異形の粘液と共に吐き出されたであろう大量のミミズがばたばたとのたうち、暴れまわっていた。
ミミズはヴァレーの服の隙間から入り込むと、うぞうぞと全身を這い廻る。彼はそれを、必死の形相で払いのけた。
吐き出された弾みで白面は外れ、纏っていた装束も半ば脱げかけてしまっている。ところどころ曝け出された肌は消化液の混じる粘液に浸っていた所為か、赤みを帯びて、ヒリヒリと痛みを訴え始めていた。

「はぁ……っ、はぁ……」

荒い呼吸を整えると、再びミミズの異形を見た。
怪物の喉奥に突き立てた短刀は、既に手元には無い。首元に手を当てたそれは、悶え苦しんでいるかのように見えた。

——今が好機だろうか。
ヴァレーは痛む身体を引きずるよう、再びその場から脱出を試みた。肌は先ほどよりも更に赤みを増し、じくじくと、軽度の熱傷にも似た痛みを感じさせている。早く水場に出て消化液を洗い流さなければ、予後に障るだろう。
湖面に向かってヴァレーが這い出すと、やや遅れてそれに気付いた異形はすぐさま後を追い始めた。動きは緩慢であるが、体躯が大きいためにその距離は縮まるばかりだ。
ぐじゅぐじゅ、びたびたと、背後にそれが近づいてくる音が徐々に大きくなる。

「あ……うぁ……っ……!」

激しく脈打つ心臓の鼓動。脱げかけた被服に足を取られ、思うように前に進めない。
絡まった布を脱ぎ去り、焦りに振り向くと——異形はもう、ヴァレーの背後まで迫っていた。どうにか水辺に出て、湖面に身体を浸す事は出来たが、これ以上逃げおおせることは不可能だろう。

ミミズ顔はヴァレーに追い付くと、先程とは異なる動きを見せた。股ぐらがばっくりと開き、その間から、ぬるついた触手が姿を現す。先端から粘液を滴らせるそれは、ヴァレーの方へ伸びると、がっちりと太腿に巻き付いた。
そして、異形はそのまま彼の身体に覆い被さると——その両足を、強引に押し開いた。それとほぼ同時に、ごきんと何か砕ける音が響く。

「あ゙……がっ……、ぎい゙ぁあ゙ぁああ゙ッ!!」

腰に灼熱の楔を穿ち込まれたような、神経を火箸で突き回されたかのような激烈な痛みがヴァレーを襲う。先のそれは彼の両足、その付け根の関節が無残にも破壊された音だった。

「お゙……ごっ……ふ、う……、ぐ……っ」

あまりの痛みに失神寸前の、声にならない喘ぎが漏れる。
喉をのけぞらせて、ヴァレーは不随意の内にがくがくと痙攣を繰り返していた。
許容し難い過度の緊張と弛緩を受け入れた身体は脱力のさなかに、だらしなくも失禁を垂れ流してしまっていた。
未だ痙攣する身体を押さえつけたまま、ミミズ顔の異形が股ぐらから伸ばした触手は、ヴァレーの上をひたひたと撫でさするように這い廻る。
くねくねと、何かを探り当てるように動かされていた先端が、腰に備えられていたベルトの上でぴたりと動きを止めた。
濡れて重みを増してしまった下穿きの中にずるりと入り込んだそれは、ヴァレーの鼠径部をねばついた粘液と共に通り過ぎ、先端をぐるんと体の裏側に滑り込ませた。

「ひっ……も、……な……にを……? い゙、や、あ、あ゙あ゙あぁあ゙ッ……!!」

双丘の谷間を割り開いた触手は、閉じられていた窄まりにぐちゅりと嫌な音を立てて押し入ると——その場所を、ひと息に突き破ったのだ。
身体が内側から生きたままに引き裂かれるような痛みが、関節の砕かれた先の痛みと対を成し、彼の神経全てを過剰に反応させた。
異形の股ぐらから現れた器官の目的を、まさかその身体を持って知る羽目になろうとは。ヴァレーは、自らの身に起きている事が、到底信じられなかった。
——だが、この身体の痛みは、決して悪夢ではない。今、直腸を突き破ったのは、このおぞましいミミズ顔の——恐らくは、生殖器官なのだ。
あれだけの太さのものが今、どのようにして身体の中に押し込まれてしまったのかなど、想像するのも恐ろしい。痛みのピークが過ぎた後は、下半身の一切の感覚が消えうせてしまったかのようだった。今はただ、体腔内をぎちぎちと膨らませていく圧迫感だけが、克明に残されていた。
異形は、押さえつけていたヴァレーを持ち上げると、太く弾力のある触手の上を、まるで人形でも弄ぶかのように乱雑に、卑猥な音を立ててずぷん、ぐぷんと上下させていく。

「ぐ、……えっ、うげ……っ……ん、ぐ、う……ッ」

——過剰な圧迫に飛び抜ける意識。助かる見込みなど、両足を砕かれた時に既に失われたと分かっていた。
ぐちゅぐちゅと、裂けた後孔から滲む血液と異形の粘液とが入り混じっては、激しく掻き混ぜられていく。粘質な水音はあからさまな性行為を想起させ、ヴァレーの鼓膜をおぞましい想像に酷く煩わせた。触手はぐちぐちと腸腔を押し広げながら、陰湿な拡張を繰り返している。このまま腸壁を突き破られれば、内臓の損傷で呆気なく死に至るだろう。
激しい抽挿が繰り返される中、突如として触手の根元が、ぶくりと膨れ上がる。

「ふ……あ…っ……ッ、う……?!」

脈打ち、せり上がる触手の異変を見下ろして——ヴァレーはそれを、直感的にまずいと判断した。
だが、自由を奪われた身では成す術もない。
ミミズは悶え、くぐもった鳴き声を上げながら、ぶるぶると大きく身体を震わせた。
触手の膨らみは不快な想像の通りにせり上がり、ヴァレーの直腸内を更に圧迫したかと思うと——次の瞬間。勢いよく放出された液状の物体が、濁流の如く腸腔内にだくだくと流れ込んだのだ。

「ゔあぁあ゙ぁあっ……! あ……あぁ……っ……」

どくん、どくんと、脈打つように放たれるのは、異形の体液か、或いは排泄物なのだろうか。

「あ……あ……」

ヴァレーは震える体で、恐る恐る自らの下腹部を見下ろした。
眼下に映るそれは、あからさまな変貌を遂げていた。
腸腔内を埋め尽くす液体の量はとめどなく、腹の中を並々と満たしていく。液体が限界を超えて流れ込んだ為に、ヴァレーの腹は今や弾けんばかりに膨れあがっていた。
腸壁の伸縮性を最大まで利用し尽くされ、下腹の皮膚も限界まで押し広げられている。ヒビ割れた肋骨は更なる圧迫を受け、半ば忘れられていた痛みが再び身体の中へと呼び戻され始めた。

「ゔ……ぐぅ……っ」

ヴァレーの腸腔内を排出した液体で満たしたミミズ顔は用が済んで満足したのだろうか。触手が肛門から、ぐじゅりと引き抜かれた。
あれだけ太いもので嬲られ続けたその場所は、ズタズタに裂けてしまっているうえに、周辺の筋組織も引き伸ばされて破壊され、もはや自力で閉じることもままならないだろう。
だが、引き抜かれたそこは、何故か封蝋でもしたかのようにぴっちりと閉じられていた。

「ふっ……う、うっ……ぐう、っ……」

解放される事の無い苦痛と圧迫感に、ヴァレーの額にじわりと脂汗が滲む。
ほんの僅かでも、この腹が裂けんばかりの液体を体外に排出し、軋む肋骨の痛みをどうにか逃してやりたかったのに。
腹腔に幾度か力を込めてみても、その出口はピクリとも動かない。肋骨の軋みに痛覚を取り戻し始めた身体は、ひと息ごとに脳髄の神経を酷く突き刺した。
その痛みに、意識を手放す事すら許されない。

ミミズ顔はヴァレーの手と脚にも、半透明の粘液を吐きかけた。それは空気に触れた瞬間に硬化すると、彼の身体をがっちりと岩の上に縫い止めた。
息も絶え絶えの中、このまま異形の孕み袋とされたまま息絶えるのだろうと——ヴァレーは自らの、惨めな最期を思い描かずにはいられなかった。

——だが、次の瞬間。ミミズ顔の頭部が突如として、胴体と分かたれて宙を舞う。ヴァレーを散々に犯した怪物は、夥しい量のミミズを撒き散らしながら、老木のように湖面へと倒れ伏した。
一体、何が起きたのか。呆気に取られていると、先ほどよりもさらに大きなミミズ顔が現れた。それはぶるぶると大きく震えた後——再び、大量の吐瀉物を浴びせかけたのだ。

「ゔ、えっ……ぶ、ぐえ、ぇっ……」

岩の上に縫い止められたままでは、ぼたぼたと垂れ落ち、身体へと潜り込むミミズの群れを払いのける事も出来ない。
ヴァレーは必死で口を閉じ、頭を振り乱した。
全身をのたうつミミズの群れに、気が狂ってしまいそうだ。
辺りには、酷い臭いが充満していた。
屍肉が腐り落ちて溶け出す寸前のような、堪えきれない悪臭。
手足を縫い止め硬化していた粘液は、その吐瀉物に触れると、どろりと溶け出した。
ヴァレーは理由も分からず、自由になった腕を動かすと、がばりと口元を覆う。だが、膨れ上がった腹と関節の砕かれた脚では、満足に移動することは叶わない。
——苦しい、苦しい、苦しい。
腹の中を捌いて、流し込まれた体液を、全て出してしまえたら。どれだけ楽になれるだろうか。
朦朧とする意識のさなか、服に染み込んだ吐瀉物は先ほどまでぴっちりと閉じられていた筈の場所、その硬化した粘液を手脚と同じようにどろりと蕩かせる。
ヴァレーが待ち望んだ筈の解放が、ついに訪れた。

「んゔっ、ひ、ぁ゙、い゙あぁああ゙っ!!」

ぶびゅ、びゅるるるっ、ぶびゅぅぅぅッッッ——。

膨らんだ腹が萎んでいくと同時に、直腸内にたっぷりと溜め込まれていた大量の粘液が、音を立てて噴出されていく。

「はーっ、はーっ、はぁ……ッ……」

肺を圧迫する痛みから解放され、腹の中をぐるぐると押し上げていたものが全て排泄されていく感覚。
悪臭と、蠢くミミズに塗れる中——今この瞬間だけ、彼は言いようのない開放感に包まれていた。

「あ、ふぁ……ひ、あぁ……っ……」

尻穴はぽっかりと開ききり、晒された直腸は通常感じる事のない粘膜へと直接に、外気の冷たさを感じさせられている。自力で閉じようとは試みたが、砕かれた下肢と同様、やはりそこは随意的な神経の命令を、ぴくりとも聞き入れなくなっていた。
ヴァレーは上体を持ち上げると、自らが腹の中から噴き出したものを、僅かな好奇心に負けて目に入れてしまった。
それは白い粘液に包まれた、大きな袋。
新たなミミズ顔はそれに近づくと、また大量の吐瀉物を垂れ落とした。
目の前の白い液状の袋が、ゆっくりと溶かされ、透明に色を変えていく——。
ヴァレーは腹の中の粘液を大量に放出した脱力感と、目の前で起きていく出来事に惚けていた。
先程の白い膜に包まれた袋が溶かされ、その中身が徐々に露わになる。薄闇にも慣れた目を凝らすと、そこには細長い筒状のものが僅かな隙間もなく、びっしりと詰まっていた。

それは大量の、ミミズの卵。あの白い塊は、卵を包む卵膜だったのだ。
吐瀉物に溶かされた卵塊は、蠢く幼体の生命を速やかに脅かした。
幼体はもがき、蠢き、悶え、苦しみ、のたうちまわった挙句に次々と死に絶える。
先ほどヴァレーに行われていたのは、生殖行動などではない。
既に、彼らは宿していた。
必要なのは、それを産み付ける苗床なのだ。

「う、ゔぇえ゙っ、うげッ……ぐ……ッ」

だからこそ、ヴァレーは未だ生かされている。
生きた血肉。それこそが、彼らが必要とするもの。
ミミズ顔はヴァレーの嗚咽など、微塵も気にかける様子はなく、彼に向き直ると股の間から再び、凶悪なモノをずるりと這い出させた。
ひたひたと、それが目がけるのは再び空洞となり、晒された場所。
ミミズ顔は力なく投げ出されていたヴァレーの両足を持ち上げる。そうしてだらしなく開ききり、白い粘液を溢れ出させている排泄腔へと——ぬるついた触手を、容赦なく潜り込ませた。
先端は腸腔内をぐるりとこそげるように、卵膜の残滓をヴァレーの腸腔から残らず掻き出していく。
先の行為で爛れ、傷つき、血の混じった粘膜は、異形の体液が擦り込まれる度に灼けるような痛みを訴える。

「あ゙がっ……! ひ、ぃぃっ……!」

あれが産卵を目的としたものであるのだとしたら、このミミズ顔はあの行為をまた、繰り返すつもりなのだろうか。

「も……いや、いやです……! また、あんな……」

そのおぞましさに、引き攣った嗚咽がとめどなく漏れ、涙腺が決壊したようにヴァレーの頬を濡らす。
ミミズ顔は子を産みつけるための新鮮な肉壺としてヴァレーの身体を機能させるべく、腸腔内の具合をじっくりと確かめるかのように触手を蠢かせていた。

「んっ……うぐっ、あ、ぐっ」

何度も繰り返し、拡張器具のようにぐぽぐぽと肉壁の内部を押し広げられる。
突き刺すような粘膜の痛みは先ほどよりも薄れ、晒された谷間の奥を幾度も出入りする触手の動きは緩慢でどこか艶かしく、腹の中を満たすそれは淫靡で濃密な接触を感じさせた。

「はぁーっ、はぁっ……、あ……ふうぅ……ッ……」

滲む汗が額を伝う。髪は解け、涙や汗や体液のせいで顔にべったりと纏わりついている。
ぐちゅっ、ぐちゅ、ずぶん。
穏やかだった異形の抽送は次第に激しさを増し、ヴァレーは再び訪れる痛みに顔を顰めた。
その内に、ぶくりと触手の根元が膨らみ、ミミズ顔が唸り、身を震わせる。
まただ、と彼が覚悟する間もなく——。
ぐじゅっ、ぶびゅっ、ぶびゅるるるるるっ。

「は、あぐぁぁぁぁっ!! うぐううっ、あ゙ぁぁぁ゙あっ゙?!」

種違いの二度目の放埒が、腹の中を白く染め上げた。
この後、あの卵膜に包まれた大量の卵はどうなるのか。
ヴァレーは悪夢よりもずっと恐ろしい現実に——ついに意識を手放した。

暗闇の中。プチ、プチと身体の中で何かが弾ける音がする。小さなミミズたちが誕生の喜びに、全身を食い破り身体から勢いよく飛び出していく——。

「う、ぎゃぁあぁぁぁッ!!」

ヴァレーは叫び、飛び起きた。
そこは薄暗い、洞窟の中。

身に付けていた衣服は全て取り去られてはいたが、身体の上には薄汚れた布が被せられている。先ほどの悪夢の続きを確かめようと布を捲り、見下ろした半身は、未だ醜く膨れたままだった。
ヴァレーはその光景に、何故かほっと、安堵の溜息をついた。
だが、砕かれた両の脚は有らぬ方向に捻じ曲がり、身動きは依然、取れないままだ。
洞窟内に残響する叫びに反応したのか、ミミズの異形が、暗がりから姿を現した。
ヴァレーは今、酷く喉が渇いていた。それに、腹は大きく膨れているにもかかわらず、身体はいつしか、空腹のサインを訴え始めていた。
しかし、その欲求は彼にとって、実に最悪の形で満たされる事となる。

現れたミミズはヴァレーに覆い被さると、顔の割れ目から、細長い触手をずるりと伸ばし、抵抗するヴァレーの腕を押さえ付けると彼の口をこじ開けて、触手をごぷりと突き挿れた。

「ん、ぐっ、う、むぅう……、んん~~……ッっ!!」

全ての抵抗が無駄なものであると知りながら、ヴァレーは挿入された触手に、無我夢中で歯を立てた。だが、ぶよぶよと弾力のある表皮に阻まれては、傷ひとつ付けることも叶わない。
口内に押し入った触手はそのまま食道と繋がると、泥状の液体をどくどくと、ヴァレーの胃に送り込み始めた。

「ぐ、ぶぅ……ッ?! んんッ、う、ぐうぅ……ッ……」

既に腹ははち切れんばかりなのに、背側に押し込まれた胃は体腔内のほんの僅かな隙間を縫い、ぶくぶくと重みを増してヴァレーをさらに苛む。
先程まで感じていた空腹感は、新たな苦痛に差し替えられた。
触手を引き抜かれれば、反射的に全てを吐き戻してしまいそうだ。それに、一体これは、何を流し込まれているのだろう。
余計な想像を頭から締め出したいのに、頭の中は続けざまに与えられる理解の及ばない恐怖で埋め尽くされていく。
異形は触手をヴァレーの食道に挿入したまま、押さえつけていた体をゆっくりと解放した。
次第に、腹の中に変化が訪れた。何かが少しずつ、蠢いている。それはあの悪夢の中で聞いた、プチ、プチと何かが弾ける感覚だった。
——ついに、孵化が始まったのだ。
あの悪夢の通り、ミミズの幼体にこのまま食い破られてしまうのだろうか。

「おぇ……ッ、ぐ、うぇぇ……ッ……」

ヴァレーは夢に見た光景と、何度目かの生理的反応に耐え切れず、激しく嘔吐の反射を繰り返す。
だが、食道を触手で塞がれているために、何も吐き戻せない。
胃が裏返るような反射と同時にギシギシと肋骨は軋み、また新たな苦痛を生み出すだけとなった。
ぷつ、ぷつんと、絶え間なく、直腸の内部で弾ける音がする。
その刺激は腸壁をくすぐり、不快と嫌悪の痙攣を、寄せては返す波のように幾度も身体へと呼び起こした。
ヴァレーには知る由も無かったが、生れ落ち、内腔に満たされた無数の幼体は卵膜を食い尽くすと、あろうことか共食いを始めていた。そうとは知れず、腸内を激しく動き回るミミズの群れに自らの身体はいつ食い破られてしまうのだろうかと——ヴァレーはその恐怖に再び気を失った。
共食いを始めた幼体は、見る間に大きく育っていく。
彼らは手狭になった直腸を上へ上へと遡上すると、触手で腸腔の突き当たりをぐいぐいとこじ開けだした。

「ん……う……」

ずっ、ずぷぷっ、ぐぷ、——ごぼっ。

ずるんと、異物を受け入れていた場所の、更に最奥が侵される。ヴァレーは飛び起きると腹の中で響いた異音と感覚に激しく身悶えた。そして、今まで侵されることの無かった場所への侵入に気付くと、苦痛に顔を歪ませて絶叫した。

「あ、ひぃあぁぁあぁッッ!?」

幼体は結腸の入り口を突き破り、一心不乱にぐねぐねと這い上がっていく。彼らは小腸を超え、幽門にまで達すると、胃から送り出されている粥状のものをじゅるじゅると、美味しそうに吸い上げていった。
胃に流し込まれた大量の泥状の液体。あれは子ミミズの食糧となるべく、ヴァレーの身体へと蓄えさせられていたのだ。

その日から、ヴァレーはミミズの幼体を育て上げるための上質な肥育器となった。一日に数度、親ミミズから泥状の液体を大量に胃に押し込まれ、結腸弁をぶち抜いて幽門の近くまでを這いずり廻る子ミミズらに、消化した液体を際限なく啜り上げられる。
彼の身体は、見事な苗床として機能し続けていた。

この洞窟の中で、一体どれだけの時を過ごしたのだろう。もう、時間の感覚も、何も分からない。
あるのは貫かれた喉の灼けるような痛みと、強制給餌による腹の底の重苦しさ、そして我が物顔で腸腔内を移動する、大きなミミズたちの不快感だけだった。

——モーグさま、どうか……お応えくださいませんか……どうか私を、貴方のお側へとお導き下さい……

半ば壊れた頭で唱え続けていた信仰の残滓も今や虚しく、彼は既に五度、ミミズ顔の幼体を腸内で育て上げていた。
排泄腔から直に産み落とされた幼体は、そのうちに親ミミズと同じ姿へと成長した。
それでもまだ、ヴァレーの役目は終わらなかった。
体外に出たミミズたちは性的に成熟すると、あろうことか親ミミズを威嚇し、攻撃した。彼らは次第にヴァレーの身体を独占すると、その身体で交尾の真似事を始めたのだ。

「ん、お゙っ、ぐぁっ、ん、ぐううっ……!」

成熟期へと達したミミズ達は、いつでも発情期であると言わんばかりに、ヴァレーの穴という穴を、日夜触手で埋め尽くした。

「ひぐううぅっ、んぶっ、う、ごっ、あがぁぁぁっ……!!」

洞窟内には潰れてしまった喉から搾り出される声とも音ともつかない濁音と、粘質な水音が絶え間なく谺していた。
乱雑に扱われてひしゃげた手脚は、今や飾りのようにぶらぶらと揺れている。行為の途中に彼らが押し潰し、踏み砕く度に、まだそこに神経が繋がっていると言わんばかりの痛みを訴えた。
組織は半ば潰れ、赤黒く腫れ上がっている。
このまま壊死してしまえば、その腐敗と毒で死んでしまえるかもしれないと、ヴァレーは虚ろな瞳の中、自らの生の終わりを幾度となく夢想した。
絶え間なく揺さぶられ、犯され続ける中。ヴァレーはぐるんと白目を剥くと、また意識を失った。
こうして一日のうちに、何度失神しているかも分からない。だが、昼も夜もなく嬲られ続け、睡眠すらまともに与えられない彼にとって、唯一その瞬間だけが休息を感じられる。それでも数時間後には、意識を手放す前と全く同じ行為の中で目を覚ます。

ぐちゅん、ずっ、ずぶっ——。

鼓膜を犯す音。身体を襲う倦怠感。不快感。
全て、何も変わらない。

——喉は潰れ、手脚は組織ごと砕かれ。歯は泥状の食べ物を流し込まれ続けていた所為で、全て溶け落ちてしまっていた。
食道から胃、結腸から直腸に至るまでの全ての管は、自力で機能させることすら難しいだろう。
信じられないことに、意識だけは未だ鮮明だった。
——彼らがこの身体を使うことをやめた瞬間に、数日と経たず死ねる筈なのに。
終わらない痛みに、いつしか正気も奪われたのだろう。思考も曖昧模糊として、もはや過去も何も、思い出せなくなっていた。

ぐちゅっ、ぐちゅん、どぷっ、ごぷごぷっ。ぶびゅっ、びゅるるるるるっ。

組み敷かれ、押さえ付けられる身体。ミミズの体液が代わる代わる流し込まれていく。
生殖行為の際には肛門に粘膜の栓は施されず、異形の体液で膨れ上がった腹は触手が引き抜かれると同時に、みっともない排泄音を出しては萎んでいった。
繰り返し摩擦を与え続けられた腸壁は前にもまして傷つき、粘膜の上層が剥がれ落ちて爛れた靡肉からは、血膿がとめどなく垂れ流されていた。

——身体も、思考も、とうに限界を超えている。
度重なる失神に破壊される脳細胞。再生機能の限界を超えて傷つけられた身体。何故こんな目に遭うのかだなんて、そんな問いはこのような人智を超えた生き物の前では、何の役にも立たなかった。利用できる物を、利用したいように扱う。彼らにとっては、ただそれだけの事だったのだろう。
産卵期を迎えたミミズたちは、自らの体内で生殖行動を完結させると、親と同じように、ヴァレーの体内に卵を産みつけた。
彼が生きた苗床にされるのは、これで六度目だった。

だが彼はもう、何も感じなかった。
黄金の輝きを僅かに残した瞳の色は光を失い、ついに消化を止めた体は新たな餌を送り込まず。栄養を待ちかねたミミズは共食いの末に彼が見た悪夢のまま、腸壁をヤスリのように齧り取り、腹の表面にぷつぷつと穴を開けて、外に飛び出しては死んでいった。
それがヴァレーの目に映る、最後の光景となった。
そこに訪れたのは安堵と、解放だったのだろうか。それとも、もはや人としての意識はとうに消え失せ、記号としての意識の断絶だけがあったのだろうか。

——死が、朽ちた身体を包んでいく。
それが新たなこの地の祝福である事を、彼はまだ知らない。