蒼く、深い月の光が、樹々の隙間から柔らかく差し込んでいる。
しんと静まり返った夜半、淡く光る銀鉄の甲冑を身に纏った騎士が一人、教会へと向かっていた。
騎士の足となる馬がゆっくりと、その歩みを進めていく。
それは比喩ではない。事実、馬はその足であったのだ。
馬は教会に入ると、身を清めるための水盆の横へと体を寄せた。
騎士は腕の力のみを利用して器用に馬から降りると、しなりと地面に座り込んだ。
そうして、慣れた手つきで、上半身だけを使って一つ、また一つと丁寧にその鎧を脱ぎ捨てていった。馬は、身じろぎもせず、静かに辺りを見張っていた。
騎士は、女であった。
透き通るような白い肌が、蒼銀の光に照らされて、ぼうと浮かび上がる。
全ての準備が整うと、彼女は一糸纏わぬ姿で水盆に身体を横たえ、その身を清めたのだった。
清めが終わると、またゆっくりとその鎧を身に付ける。
そうして彼女は、目の前の祭壇に夜通し祈りを捧げたのだった。
——翌る日のこと。
身を清めたその教会にて、叙任の儀が執り行われた。
騎士となる者に、祝別の言葉が送られていく。
「——貴女を、カーリアの親衛騎士に任命します」
当代カーリアの女王、レナラが言った。
司祭ミリエルが従者に耳打ちをすると、従者は彼の手足となって、祭壇の、同じく祝別を受けた儀式の剣を手に取った。
司祭ミリエルは、年老いた、大きな大きな、亀だった。古くは大賢獣と呼ばれ、まだ文明の起こりであった頃に人々に智慧を授けてきたのだという。ミリエルの従者から、祝別を受けた剣が女王レナラへと渡された。
当代カーリアの女王レナラは、たった一人でこのリエーニエを平定した英雄である。
彼女のその肌は、白磁のようにきめ細やかで、髪は黒檀のように艶やかであり、またその瞳の色は淡い、満月の輝きを思わせた。レナラは、息を呑むほどに美しく、聡明で、また、強大な魔術の使い手であった。
そしてなにより、大きかった。
大きいというのは、即ちその体躯の事。
レナラ自身が、その体に思うところがあったのかどうかは知る由も無かったが、この狭間の地に於いて、大きさは力の象徴だった。
たった一人でリエーニエを平定した魔術の女王が巨躯であるのは、成る程道理が通るのだ。
この”湖のリエーニエ”と呼ばれる穏やかで肥沃な土地には、かねてより月を拝する星見の一族のカーリア家と、星の探究、輝石魔術の学舎であるレアルカリア学院との対立の歴史があった。
しかし、レナラはその類い稀なる智慧と探究心で満月の魔術を治め、その強大なる月の力はついに、レアルカリアの学院をも魅了したのだった。
そうして、かつて対立していた月と星は、今やその運命を同じくするに至った。
——叙任の儀は、厳かに進められていく。
“カーリア騎士”の二つ名はごくわずかな者たちにしか与えられず、彼らは、その一人一人が一騎当千の英傑として知られた。カーリアの女王レナラとその騎士たちは、リエーニエ全域をその手中に収めた勢力であるにも関わらず、驚くべき事にその数はたったの十数人にも満たなかったのだ。
——名を呼ばれた騎士が、颯爽と馬を駆り、女王の元へと馳せ参じる。
その騎士は、名をローレッタといった。
ローレッタが馬とともに歩みを進めると、その場がややどよめいた。
女王の面前であろうともその愛馬から決して降りぬのは、この女騎士、ローレッタだけだった。
カーリアの騎士たちにとっては、それは見慣れた光景であった。
しかし、レアルカリアに属するカッコウの騎士たちは皆、その光景に奇異の眼差しを向けていた。
馬が、そしてローレッタが、恭しく女王の前に傅いた。カーリアの女王レナラの威厳を湛えたその面持ちが、ふと、柔らかく解きほぐされたように見えた。
女王は傍らに置かれた、ローレッタに授けるための品々を手に取った。そうしてローレッタに近づくと、彼女だけに聞こえるように、小さく声をかけたのだった。
「これからもカーリアと、そして私の傍にいて頂戴ね」
ローレッタは、女王のその美しい瞳を見つめ返した。そして、女王が立ち上がると、この日のために、ローレッタのためにと設えられた、特製の盾と戦鎌が授けられた。それは優美な工芸品のようで、とても武具には見えなかった。
それから、彼女の守護樹である月桂樹を模した兜と、カーリアの騎士の象徴たる瑠璃色のマントが授けられた。瑠璃色のマントはローレッタに、女王自らの手によって掛けられた。
ローレッタは授けられた兜を被り、戦鎌と盾を掲げて女王に一礼をした。
お利口に、全てが終わるのを待っていた馬は、ローレッタの合図で立ち上がるとまた元の道を悠々と戻っていく。
その途中で、数名の騎士が何やら話している声が聞こえた。
「女王の面前だというのに、あの女は斯様な時もあの駄馬を降りぬのだな。その綺麗なおみ足が汚れるとでも云うのか」
「おいおい、何とも失礼な言い草じゃあないか。女だてらに親衛騎士様であるのだぞ。我々も”ローレッタ様”と呼ばねばなるまいて」
騎士たちの間に、嘲笑が広がった。
ローレッタはそちらに目を遣った。
それはあからさまな、嫌味だった。だが、今は式典の最中だ。それに、不戦の協定を結んでいる彼らに向かって何かが出来るわけもない。
奴等も、それは充分わかっているのだろう。
ローレッタは、歯噛みをした。
彼女を笑いものにしたのは、カッコウの騎士たちだった。
カッコウの騎士はレアルカリアに与しており、かつてはリエーニエの主要勢力であった。
レアルカリアの学院がレナラに従属したその時に、カッコウの騎士たちもレナラ、つまりカーリア家に仕えることになったのだ。
だが、そんなのは表向きの話だ。
彼らの性質は残虐で、冷徹で、差別的だった。
自らを優れた純血の魔術騎士と称え、それ以外の異端の生き物たちを下等な種族と蔑んだ。
実際のところ、相対するカーリアの女王に仕えるのも、女が親衛騎士となる式典に態々付き合わされるのも、選民思想の強い彼らにとっては酷く屈辱的に感じられたのだろう。
ローレッタが嘲笑に耐えていると、ぴしゃりと強い声が飛んだ。
「——おやめなさい。ローレッタに意見をするものはこの私が許しません。口を慎みなさい」
その声は、レナラのものだった。
女王は厳しい顔で騎士たちに言い放った。
彼女がこのような声を上げるのは、珍しい事だった。
女王レナラはその強さのように、苛烈で独裁的な人柄だという事は”全く”なかった。
トロルを盟友とし、更には騎士に叙任し、巨人を軍師に徴用するなど、異種人であろうとも力を貸してくれるものたちを皆、友として温かく迎え入れた。
そうして、このリエーニエの土地を体現するかのような彼女の生来の穏やかさ、優しさ、懐の広さは、まさしく神話にあるような慈母の如きで、彼女に仕えるものは皆密かに、レナラの事を第二の母と慕っていったのだった。
「——次はありませんよ。心しておくように」
レナラの声に、教会は水を打ったように静まり返った。
他のカーリア騎士たちも皆、一触即発の空気を身に纏い、カッコウたちを睨み付けていた。
カッコウの騎士たちは兜の上からでも分かるような、まだ嘲るような視線をローレッタに飛ばしてはいたが、それ以上何か口を開くことはなかった。
その後は粛々と、式典が進められたのだった。
叙任式が終わると、慣例に則った騎馬戦が始まりー此度のカーリアの騎士とカッコウの騎士との戦いは、それは熱の入ったものだったというーその後は、ささやかな祝宴が催された。
タダ飯、タダ酒にありつけるとあっては、さしものカッコウたちも、傍目には行儀よく振る舞った。(陰では給仕の女に嫌がらせをしたり、小姓をわざと転ばせたり、気弱なカーリアの雑兵に罵声を浴びせたりしていたのだが)
しかし、カーリアの騎士たちには聞こえぬように、カッコウたちの間ではこのような話がまことしやかに飛び交っていたのだった。
(女王から贈られた、あの銀雫の盾を見たか?)
(あの女、何か馬を降りられない理由でもあるのかとは思っていたが、そういう事か)
(——間違いない、奴はしろがね人だ)
此度の祝宴の主役であるローレッタもまた、レナラの傍で言葉を交わし、その宴を楽しんだ。
宴は夜通し行われたが、いつしかローレッタの姿はなくなっていた。
彼女は、宴で振る舞われたものを携えて、馬を駆り、山の中を全速力で駆け抜けていた。
古い友に、その喜びを伝えるために。
2.
ローレッタは、古くからカーリア王家に仕える従者の一族の娘であった。
ローレッタはその一族の宿痾であろうか、生まれつき足が弱かった。
しかし、勝ち気な彼女は、騎士たちの戦いを見るのが好きだった。
自分も強くなりたいと、憧れを抱いた。
小さな頃から毎日、雨の日も風の日も、兵士たちの訓練を見る事を欠かさなかった。
ローレッタは、少女へと成長した。
庭で、いつものように兵士たちの訓練を見つめていた。
統制の取れた行進
槍と剣の打ち合い。
——私は、どれだけ望んでも、あの中には入れないのかな。
それは、今まで押し込められていた感情だった。
ふと、憧れが悔しさへと変わった。
ローレッタは俯き、膝の上の手のひらをぎゅっと握り込んだ。
「足を使わなくても、飛び道具がありますよ」
兵士たちのの訓練を傍で見ていた騎士が、徐に声をかけてきた。
彼はカーリア王家の客人で、名をジェーレンと言った。
彼は年若い、流浪の旅人だった。
目立つ色合いの装束を身につけ、風変わりで、飄々と掴みどころのない性格をしていた。
彼はどこの勢力にも所属しない傭兵だったが、カーリアとは懇意なようで、こうして度々訪れては城内を見物して回っていたのだった。
ローレッタも小さい頃から幾度となく彼の姿を見、暇を持て余している時には彼を捕まえて、騎士の戦いや戦の歴史について質問攻めにしていたのだった。
その奇矯な騎士は、ローレッタに小さな木の弓を渡した。
「どうぞ、先日の旅の手土産です。お誕生日のお祝いをと話していたでしょう」
「覚えていてくれたの? ありがとう!」
ローレッタは、さっそくその小さな木の弓をつがえ、何度かそれを引いてみた。
しかし、そう上手くはいかない。
練習用の矢は、すぐに無くなってしまった。
「——全然ダメじゃない。弓って、こんなに難しいものなの?」
幼いローレッタはむくれた。
「ハハハ、お嬢さんにはまだまだここの力が足りないんですよ」
彼はそう言って、自らの逞しい腕をパシパシと叩く。
ローレッタは、足が弱いために何度も矢を取りに行くことは出来なかった。
奇矯な騎士が傍に居てくれている間は、彼がその矢を補充してくれていたが、彼もそう長く城に留まることはない。
ローレッタは一人になっても、懸命に弓の練習をした。
奇矯な騎士は、また、カーリアの軍師と友でもあった。
彼は、弓の練習を続けていた彼女を見て思案した。
——上手くいくかは分からぬが、奴にひとつ相談をしてみようか。
ある日の事、大きな軍師がローレッタの元を訪れた。
「全く、あの変わり者め。勝手に持ち出したと知れたら叱られるのは儂であるのにな」
此方に来る前になにやらぶつくさと言っていたようだが、軍師は小さな、青い輝石のついた木剣をローレッタに手渡すとこう言った。
「弓使いのお嬢さんよ。奴から話は聞いておりますぞ。貴女はどうも、カーリアの騎士を目指しているそうですな。これは触媒です。貴女に適性がなければ、その輝石もただの石ですが。上手く使えれば、矢を拾いに行かずに済むかもしれませぬ」
軍師は話を続けた。
「カーリアの魔術騎士たちが輝剣を展開するのを、お嬢さんも見たことがあるでしょう。あの要領です。
——しかし、輝剣はあくまでも補助的な魔術。主力にはなりませぬがな」
ローレッタは、木剣を振るってみた。
案の定、何の手応えもなかった。
「まぁ、出来ぬとて落ち込まぬ事です」軍師はかっかっと笑って、ローレッタの小さな頭の上に手を置いた。
ローレッタは諦めなかった。
雨の日も、風の日も、ローレッタはその木剣を振り続け、弓を引き続けた。
弓の腕前もメキメキと上達した。
大の大人であろうとも、城内の的当てでローレッタに敵うものは、誰も居なかった。
初めは好きにさせようと見守っていた両親も、その腕前には目をみはった。
そしてついにローレッタは、その弛まぬ努力の末に、頭上に輝剣を展開する事にも成功したのだった。
「——いやはや、ここまでとは。この爺の目を持ってしても見抜けませんでしたな」
度々ローレッタの様子を見に来ていた大きな軍師が、頭に手を当てて言った。
横には、そうだろうとでも言いたげに笑う、ジェーレンの姿があった。
——この才をこのままにしておくのは勿体ない。
そう感じた軍師は、彼女に一頭の馬を与えた。
従者の家系に、そのような待遇が与えられるのは破格のことだった。
反発する者も中には居たが、軍師はピシャリとそれを一蹴した。
そうして、ローレッタはついにその足を得たのだった。
彼女が馬と心を通わせるのに、そう時間は掛からなかった。
彼女は馬と共に野を駆け、山を駆け、そのうちに、美しい戦士へと成長したのだった。
ある日、ローレッタはいつものように山で弓の腕を磨いていた。
木々の間を縫い、わずかな隙間から木の実を狙い打つ。
それは百発百中だった。
彼女は弓を下ろし、ふぅ、と軽く息を整える。
このところ、山の獣たちが何かに怯えているような気配がしていた。
恐らくは、最近やってきた狼のせいだろう、と思った。
大きな足跡や、その体毛、排泄物——。
ここ数週間のうちに、狼の痕跡が目に見えて増えていたのだった。
今も、ローレッタの目の前に、まだ新しい足跡が見て取れた。
ローレッタは、無駄な殺生はせぬ性質(たち)であったが、もしこの狼に襲われたら、流石に容赦はできないだろうと思った。
彼は群れだろうか、それとも、はぐれ狼だろうか。
あまり群れの痕跡は無いようだが——
その矢先に、殺気を感じた。
素早く馬の手綱を引き、背後を振り返る。
標的は視認できなかったが、何かが明らかにこちらを狙っている気配がした。
ローレッタは、反射的にその方角にに矢を放った。
百発百中、の筈だった。
しかしその時、矢を放ったはずの方向から、ローレッタに向かって同じように矢が飛んできたのだった。
「なんだ?! 魔術か?!」
驚きと同時に、身を捩り、矢を躱そうとする。
しかし、鋭い痛みが肩口に走った。
致命傷は免れたが、見ると、肩には深々と矢が突き刺さっていた。
——これは、私のものではない
何らかの魔術で矢が返報されたのかとでも思ったのだが、肩口に刺さっている矢は見知らぬものであった。
続けざまに、同じ方向から矢が飛んで来る。
「クソッ、このままじゃ蜂の巣だ」
なんとか馬を操り、近くの大樹に身を寄せて射線を切った。
肩口からは、血が流れていた。
ローレッタは鈍い痛みに顔を顰めた。
身を隠した事が幸いしたか、矢の追跡は止まったようだった。
辺りは薄暗く、リエーニエの地特有の薄霧がかかり始めていた。
暫くすると、矢の飛んできた方向から、ゆっくりと何かの影が近づいて来るのが見えた。
霧の中から現れたのは、人だった。
まだあどけなさを残した少女の顔がそこに見えた。
しかし、ローレッタの予想はやはり当たっていた。
少女は、大きな狼に跨っていた。ここ最近の痕跡は、あの狼によるものだろう。
少女は両手で弓を構えて、注意深く辺りを見渡していた。
まさか、あの弓の使い手が少女だったとは。
しかし、相手もこちらの姿までは視認していないようだ。
とすると、先刻は気配だけで、あれだけ正確に狙撃をしてきたとでもいうのだろうか。
ローレッタは気配を殺し、じっと様子を窺った。
こちらとて馬に騎乗している。狼がいるのなら、臭いでじきに気づかれてしまうだろう。
チャンスは、恐らく一度きり。
それに、あの弓の腕前。少女とて侮れまい。
ローレッタは、少女との距離を慎重に見計らうと、先手必勝と言わんばかりに大樹の影から飛び出した。
狼と少女は、ローレッタに背を向けていたために一瞬反応が遅れた。
少女は弓を構えた——が、あと一歩遅かった。
ローレッタは馬を駆り、少女を背後から片腕で抱きかかえると、そのまま全速力で走り抜けたのだった。
狼は少女を奪われ、怒り、すぐに向かって来るだろう。
しかし、あの狼の知能は恐らくかなり高い。
少女を人質に取れば、動きが止まるだろうと思った。
次の瞬間——。
何かに引っ張られたローレッタは、少女と共にぬかるんだ地面へと投げ出されたのだった。
抱えられた少女が木の枝にうまく弓をかけ、力任せにローレッタを引っ張ったことで馬がバランスを崩したのだ。
辺りに、二人の落下音が盛大に響いた。
地面に転がり落ちた二人は、互いの顔を見合わせて対峙した。
ローレッタは、立ち上がる事ができない。
この体勢では、明らかに分が悪かった。
しかし、少女もまた、立ち上がる気配はない。
怪我をしたのだろうかと、ローレッタは思った。それに、すぐ後ろには少女の狼が迫ってきている。
イチかバチか、ローレッタは、少女に声を掛けた。
「——貴女、聞いてくれ! 私は敵ではない。山で弓の練習をしていただけだ。先ほどは敵襲かと思い、反射的に弓を引いてしまった。どうか、無礼を詫びさせてほしい」
少女が反応した。
同時に、近づいて来ていた狼の動きも、少女の後ろでピタリと止まった。
「それに、君は落下した時に足を挫いてしまったのだろう? 私はカーリア王家に仕える兵士だ。手当が必要なら、すぐに手配しよう!」
何か反応してくれと、ローレッタは願った。
そして、少女はやや考えるような顔をした後、ついにその口を開いたのだった——
「——あの時はほんと、どうなる事かと思ったよ」
「ローレッタ、貴方は酒が入ると度々その話をするのだな」
「そうか?まぁ私たちの出会いだ、何度祝っても祝い足りぬだろう」
ローレッタが上機嫌で言った。
彼女の古い友とは、あの時に出会った射手の少女だった。
「それもそうだな。それにまさか、お互いに足が使えぬ身であるとは思ってもみなかった」
「そうそう。それに、お互いの半身がそれぞれ馬と狼で、お互いに弓使いだというのもな」
二人は笑い合う。
ローレッタが、空の盃に手酌をした。
「私のきょうだいたちにも、ぜひいつか貴方を会わせたいものだ」
「しろがね人、か。皆、ラティナと同じ姿をしているのだったか?」
ラティナと呼ばれたかつての少女は、ローレッタの持参した珍しい馳走の数々にに舌鼓を打っていた。
「そうだ。だが、ローレッタ。貴方は私たちしろがね人にどこか似ている気がするのだ」
しろがね人とは、ラティナの種族のことだった。彼らはみな一様に、白く、美しく、そして同じ容姿をしていた。また、生来立つことが出来なかった。
ローレッタは、ラティナの話に答えた。
「あぁ。付き合いは長いが、改めて口するのは初めてになるな。確かに、私もずっと、そう思っていた。私の一族は、カーリア家に代々伝わる従者の出だ。
先祖は月の民と呼ばれ、遠い夜の都の末裔であったらしい。何故か私の一族には、生まれつき足が弱い者が多いのだ。ラティナの民とは何か、関係があるのだろうか?」
ラティナは少し考えるような顔をして、こう言った。
「遠い夜の都、か。それは恐らく、永遠の都のことだろう。やはり、そうなのだな。
——ローレッタ、友である貴方には伝えておきたいのだが、少し良いだろうか。しろがねには、古い言い伝えがあるのだ」
「言い伝え?」
ローレッタは聞き返した。
「あぁ。我らしろがね人はこの見た目や性質ゆえに、蔑まれ、迫害されてきた。しろがね人のルーツは、どうやら永遠の都にあるらしいのだが、詳しいことは知らされていないのだ。しかし、我らはいつか、この仮の身体を捨てて、本来のあるべき姿へと収束するのだという」
「それは、どういう意味だ?」
「私にもまだ分からない。村の長から聞いた話だと、いつか、使命の旅が始まるのだという。そして、星の啓示によると、それはそう遠くない未来だと。
使命の旅が始まれば、それはつまり貴方との別れになるだろう。それだけは伝えておかなければ、と思っていたのだ。
しかし、不思議だな。貴方の出自も永遠の都に関係があるというのは、偶然なのだろうか」
ローレッタは、暫く考えて言った。
「私が何か、しろがね人の使命に関係しているのかどうかは正直全く分からない。だがラティナ、安心してほしい。私はカーリアに仕える身だが、古き友が困っている時はどこであろうと、いつでも助力をすると誓おう」
彼女はそう言って、胸に手を当てる。
ラティナは、顔を上げてローレッタを見た。
「ローレッタ、その言葉だけでもすごく嬉しいよ。本当に、ありがとう。
しかし、今日は親衛騎士就任の祝いであるのに、最後に随分と個人的で、感傷的な話をしてしまったな。すまなかった」
「なに、そんな事で謝らないでくれ。私はこうしてラティナと話せるだけで十分だ。私の方こそ、大事な話を教えてくれてありがとう」
ローレッタの言葉に、ラティナの顔が綻ぶ。
「——しかし、貴方でレナラ様の親衛騎士が務まるのか?」
ラティナが悪戯っぽく言った。
「う、それは言わない約束だろう」
ローレッタは苦い顔をする。確かに、女王レナラの親衛騎士となったものの、彼女に護衛が必要かどうかと言われると、それは微妙なところだった。
ラティナは楽しそうにふふ、と笑った。
また他愛のない話を取り留めもなく続け、夜はどんどんと更けていく。
食べ物や、飲み物の容器もほぼ空になっていた。
「そろそろ、この宴も終いだな」
ラティナが盃を手に取ると、ほぼ同時に、ローレッタが盃を掲げて言った。
——レナラ様の治世に、乾杯だ
ラティナはそれを受けて、こう言った。
「謙遜をするな。女王の治世と、
“親衛騎士、ローレッタ”に乾杯」
「…………乾杯」
ローレッタは照れ臭そうに、しかし、その実とても嬉しそうに、一息に盃を傾けたのだった。