後輩と別れると、ヴァレーはメールに記載された場所へと向かった。いちいち言われなくても分かり切っている、その場所へ。
そこは、ローデイル内で一番の高層の建物だ。講義のあった大講堂からはそう遠くはない。
学会の時は遠方のレアルカリアやサリアなどからも識者らが泊まりに来るような由緒正しい建物で、セキュリティも万全だ。
今日のような定期報告や講義、学会の日はせっかく王都の外に出られる良い機会なのだが、余程のことがない限りはいつも、夜はこうして上司からの呼び出しで埋まってしまっていた。
ここで上司とする事は、何も仕事の打ち合わせや残務処理などではない。
上司とは研修医の頃から”そういう”関係だった。つまりは、性欲処理の相手だ。
手篭めにされたなどと初心な事をいうつもりはさらさら無いが「個人的に指導をしたい」と持ち掛けられたのがその始め。どうせ身体にしか興味がないのだろうし、その内に年齢や容姿で飽きるだろうと思っていたのだが、なかなか手放しても貰えずに、関係はずるずると十年近くにも及んでいた。
ヴァレーは受付へと向かい、見知ったフロントマンに軽く挨拶をする。
上層階はホテルではなく定期で借り上げるもので、ワンフロア毎に専用のコンシェルジュが付いていた。今日と明日はその訪問を「不要」の欄にチェックを入れる。
どれほど広かろうと、風呂場と寝室ぐらいしか使わないのに、と思いながら台帳へのサインを済ませる。他にも呼んでいる者が居るのかどうかは、知る由も無いが。
昇降機を使い、目的の部屋へと向かう。
すれ違う人の影もなく、部屋の中にもまだ上司の姿は無い。
講義室の片付けで汗をかいてしまっていた事もあり、先に、浴室を使おうと思った。
肌を見せない装束のため、身体を動かして汗をかくとどうにも布が纏わりついて不快なのだ。
ふと、ヴァレーは洗面台の大張りの鏡に映る自分を見た。後輩からの言葉を気にするという訳でも無いのだが、確かに髪が随分と伸びている。
髭をあたれとも言われたが、今更見た目など気にしてどうなるものでもないだろう。
元々体毛はかなり薄い方だ。髭も全体的に生える訳でもなく、そう伸びることも無いので、ある程度生えてしまえば放っておいてもあまり変わりがなかった。
浴室から上がり、ガウンを適当に羽織ると机に置かれていた報告書に目を通す。
暫くそうしていると、電子音が鳴ってドアが開けられる音がした。
そちらを見遣ると、やや大柄で、精悍な顔つきの男性がその姿を現す。
「——ああ、もう来てくれていたのか、嬉しいよ」
「ええ。ですが、毎回こうして誘うのはやめてくれませんか? 月の定期報告の時だけで十分でしょう」
「ここまで来ておいて何を今更。ほら、もう身体も流してすっかり準備もしてくれているんだろう。今回代わりに買って送っておくものは?」
ヴァレーは立ち上がると、用意しておいた注文書を男に差し出した。
「貴方がこうして誘わなければ、全て自分で買いに行けるんですがね」
「そう言わないでくれ、君に会いたくて仕方がなかったんだ」
男は注文書を受け取るとガウン越しの尻に手を回し、その肌をぐにゅりと掴んだ。
「ッ…うっ」
「はぁ、講義の後はいっそう気が昂るよ。ああして無垢な仔羊たちを勧誘してくれる君が、その後で毎回こういうことをしていると知ったら彼らはどう思うだろうね?」
男の手はなおもぐにぐにとその尻たぶを揉みしだき、腰をぐいと抱き寄せて身体を密着させる。
「……どうもこうもないでしょう。それに、いい加減新しい相手でも見つけたらどうですか」
ヴァレーは寄せられた顔をうっとおしそうに背ける。
「何を言うんだ、君だからいいんじゃないか」
男はヴァレーの首元に掛かる、まだうっすらと濡れたまま、無造作に下ろされている髪を掻き上げた。
洗い立ての石鹸の香りが、風呂上がりの体温と混ざり合って立ち昇り、ふわりと男の鼻腔を掠めていく。
ヴァレーは寄せられた顔を引き離し、くすぐったそうにかぶりを振ると、頭ひとつ大きい男の顔を見上げて気が無さそうに言い遣った。
「どこが? 身だしなみもさっぱりでしょう。今日も後輩に言われましたよ、髭のひとつでもあたればいいのに、とね」
「確かに余り頓着はしないようだが。それに新しい相手、か。はは、初めての頃を思い出すよ。君ほど素質のある相手に出会える事なんてまあ無いだろうさ」
男はそう言うと、じりじりとヴァレーを壁際に追い詰めていく。
背中が壁に触れる。男の身体ごと押し付けられて、軽い圧迫感がその身体へと与えられる。
——徐に男の口元が耳を掠めると、こう囁いた。
「後ろだけでイけるようになったのはいつからだった? 勃起せずに射精出来るようになったのは? ドライで何度も絶頂できるようになったのは?」
「……つッ…!」
耳元から直接的に流し込まれた卑猥な言葉に、一気に身体の熱が上がる気がした。そして、今までのこの男とのふしだらな行為がまざまざと想起させられてしまう。
正確に何がいつだったかなんて事は覚えていなかったが、痛みと圧迫感を拾うだけだったセックスは思ったよりもすぐに快感へと変わり、男の言う通りに慣らされ、身体を繋げた幾度目かにはもう、あの強烈な快楽を知る前の体には戻れなくなってしまっていた。
もっとじっくり開発する筈だったのに、と笑われてしまった時の恥ずかしさは未だに忘れられない。
感じやすいと言われても他に相手がいるわけでもなし、比較のしようも無かった。
腰をかき抱かれ、こうして下半身を密着させられて耳元に擽ったい刺激を与えられていると、否が応にも下腹部に熱が集まってしまう。
真横に寄せられた顔、そして男の体温も直に感じてしまい、無意識に喉が鳴る——。
相手には恋慕らしい情など抱いていないものの、一ヶ月ぶりの行為を前にして自らの溜め込んだ欲求が浅ましくも膨れ上がっていくのが分かった。
文句を言いながらも毎度律儀にこんなところまで来ているのは、長年すっかり慣らされた身体と頭がもはやどろどろに麻痺してしまっているからなのだろう。
相手の言動にはいちいち嫌悪があったが、誰にも知られる事なくこういった関係を持てるというのは気楽であるし、何よりその先に齎される快楽には、やはり抗えなかった。
「……分かりましたから、それはもういいでしょう」
男は投げかけられた言葉への恥辱と、想起させられた行為への劣情とで綯い交ぜになり、目も合わせられずに俯いているヴァレーの様子を満足そうに見下ろした。
プライドの高い彼を辱め、行為に溺れさせるのはとかく気持ちが良いと、言わんばかりに。
耳元に寄せられていた男の口が耳朶を軽く食み、首元へ這い進むと跡を残そうと軽く吸い付く。
ヴァレーはその意図に気づくと、身体に行為の痕跡を残されまいと、男から顔を背けて無理矢理に身体を引き離した。
「っ、……ではどうぞ、貴方も汗を流してきてはどうですか。私も疲れているので、今日は早めに終わらせてください」
「明日は休みなんだろう? 今日は俺の気が済むまで付き合ってもらうから、そのつもりで楽しんでくれないと」
男は嬉しそうにそう言うと、浴室へと向かっていく。
ヴァレーは大きく息をつき、ベッドサイドに腰掛けると適当に髪を束ねて先程の報告書の続きへと目を落とす。
だが、どうにも気が散って書類の内容は殆ど頭に入っては来なかった。
——端末の予定を確認して時間を潰していると、男が浴室から上がる音が聞こえた。
惰性ではあるがそのタイミングに合わせ、空調を下げて照明を落とす。
身体をベッドへ横たえると連日の疲れが一気に襲いかかり、すぐにでも眠りに落ちてしまえそうだった。
ヴァレーは欠伸を噛み殺すと、なんならこのまま寝てしまおうか、などと思い、ぼんやりと照明に顔を向ける。
そのまま顔をずらして枕に顔を埋めると、すうっと瞼が落ちていく——。
うとうとと微睡んでいると、ベッドが軋んですぐ後ろに男の気配を感じた。何かがポンとベッドに投げ入れられる音がして、そちらに目を向けるとコンドームの箱が無造作に放られているのが目に入る。
身体については多少配慮があるようで、彼は行為の時にそれを欠かしたことはない。もちろん、単に自身のリスク回避のためでもあるのだろうが。
ぼんやりとそんな事を考えていると、尻の上にひやりととろみの付いた液体が垂らされた。
その刺激に、びくりと身体が反応してしまう。
ローションが垂れ落ちる感覚がとろとろと肌に伝うと、先ほどまですぐに眠ってしまえそうだと思っていた筈なのに、一気に頭が覚醒して顔に熱が集まっていくのが分かった。
後ろからぐにぐにと尻たぶを弄んでいる手が、ローションのぬめりを利用してじわじわと、双丘の割れ目へと伝う。
そのまま穴の周囲を緩やかに擦られ、ゆっくりとマッサージをするように押し広げられ、小さく身体が強張る。
目を閉じて軽く息を吐き、指が入り込みやすいように身体の力を抜くと——それに合わせて、男の指がぐちゅんと挿し入れられた。
「……んぅ、……っ!」
喉の奥からどうしても溢れ出てしまう声を押し留めようと、口元に腕を押し付ける。
ぐちゅ、ぐち、と自らの身体の内から発せられる卑猥な音が絶え間なく聴覚を侵していく。
まだ男のものを受け入れる為の前段階に過ぎないのに、身体には既に痺れるような熱が集まってきていた。
「ああ、君も随分その気になってきたんじゃないか?」
指が身体の中を這い進む感覚に昂ってきていたのは事実だったが、それを指摘されるのはどうにも気分が良くはない。
何か言葉を返そうかとも考えたが、何を言ったところで今の役割では分が悪すぎる。
強がったところで執拗に責め立てられ、喘がされ、辱められるだけなのだ。
行為も中程になれば相手を悦ばせることも出来ようが、やはり快楽を受け入れ続ける側である以上、最終的には成す術もなく溺れて、どろどろに溶かされてしまう他はなかった。
「……ん、……あ、っ、う、ぐ……ッ……」
指の数が増やされ、追加のローションがどろりと垂らされる。突っ伏していた身体の腰は浮き、膝を立てて指の抽送を後追いするかのようにふらふらと揺れてしまう。
指の動きも徐々に激しくなり、穴を柔らかく、もっと大きなモノを受け入れられるようにとの意図を持ってさらにぐちゅぐちゅと解されていった。
「そうそう、違法薬物の常習者がまた増えてきているそうだな 君の仕事も大変だろう」
「ええ、だから人手が足りないとっ、いつも、い゙っ、あ、あ゙ぁあっ……!」
話の途中でわざと邪魔をするように、前立腺がぐり、と押し潰された。堪えきれずに声が漏れ、突然身体を襲った激しい快感に身体が揺れてしまう。背中から脳髄に伝うように、快楽の回路を通って電流にも似た刺激が全身を走り、その手や足の先までもがびりびりと痺れていく。
「つい最近一人配属されたんじゃないか? ほら、その後輩君が」
「んうっ、あっ、……っあ…、っう、そうですっ、」
その言葉に、否が応でも彼の事を思い出してしまう。今日も打ち上げをしようと誘ってくれていたのに、それを仕事があるからともっともらしく理由を付けて断って。挙句こんなふしだらな行為に耽溺してしまっているだなんて、口が裂けても彼には言えないだろう。
だが今は、そんな背徳的な想像ですら快感を拾う糧になってしまっていた。
挿入される指の数は更に増え、直腸内を淫らに掻き回していく。その刺激に身体は正直に、そして貪欲に反応してしまう。ぐぷぐぷといやらしく鳴り響く水音も、脂肪を溜め込んだ肉厚の指が中を掻き混ぜていく感触も、全部、全部が嫌に気持ちいい。
人差し指と中指がぐりぐりと前立腺を虐めると、その度に身体がビクビクと痙攣し、高められてしまう。勃ちあがりきらないペニスの先端からは透明に近い液体が押し出され、口からは「あ゙、あ゙」とはしたない声が溢れ続けていた。
「君ばかり気持ち良くなって狡いんじゃないか。ほら、そろそろこっちも頼むよ」
——突き込まれていた指がずるりと引き抜かれる。すっかりと柔らかく解されたそこは、今すぐにでも男の昂りを受け入れる準備ができていた。
だが、先の言葉の通り、彼のものも満足させてやらなければならない。
ふらふらと上体を起こすと、目の前に突き出された剛直は既に勃ち上がり、むわりと熱を纏っていた。
直接的な視覚刺激に目が釘付けになり、無意識にごくりと喉が鳴る。
「ああ、その顔。君も相当好きモノだな。一番硬い状態で挿れてほしいんだろう? ほら、早く咥えて」
男にそう煽られると、下腹がじりじりと痺れ、先ほどまで解されていた場所が物欲しそうにヒクヒクと蠢いてしまう。
自らがどんな顔をしているのかなど知らないが、早く目の前のモノが欲しい。それだけが、今やどろどろに溶けきった頭の中を埋め尽くしていった。
口淫の際には手を使うなというのが長年の付き合いの中での、暗黙のルールだ。ヴァレーはいつも、頭の動きと舌づかいだけで男のものを満足させる必要があった。
舌を突き出し、竿に絡み付かせるように這わせると男の陰茎がピクピクと震える。そっと目を伏せて、表面にぶくりと浮き出した血管に舌を沿わせ、竿の感触を確かめる。張り出した嵩の部分も丁寧に舐め上げると、口の中にゆっくりと全てを収めていった。
男の方を見上げながら頭を振り、そこからはわざとらしく卑猥な音を立ててじゅるじゅると竿を吸い上げて責め立てていく。
「ん、…ぐ、…んむっ……」
しばらく口淫を施していると、男のものはその質量を増し、先程よりも硬さを持ってすっかりと準備ができたようだった。
ふと顔を見上げると、男と目が合う。苦しそうに歪められている表情から、そして頭に添えられる手の動きからも、だんだんと彼の余裕が失われていくのが伝わってくる。
——そろそろだろうか。
ここからの手順も、何も言われなくても分かっていた。
ヴァレーは目線を動かし、先ほど投げ入れられたコンドームの箱を手に取ると、手早く封を開ける。ペニスから名残惜しそうに口を離すと、手に取った物の外袋を噛み切って、中のものを器用に舌と口で取り出した。
コンドームの先を口唇で抑えて先端の空気を抜き、男の鈴口にあてがうとべたりと密着させる。そこから一気にゴムを被せるよう、陰茎の根元までを口内に全て収めながらスルスルと降ろしていく。
口淫のテクニックといい、口だけでコンドームを装着する際のこの手際の良さといい、それがどれだけ玄人じみた行為だと彼自身は分かっているのだろうか、と思いながら男はその光景を眺めていた。
もちろんそうするように教え込んだのは他ならない自分であるのだが。
男の視線に気付いたのか、ヴァレーは口を離すと「貴方もこれで準備は出来ましたか?」と、やや上気した声で言い、身体を伏せて尻を突き出した。
先程までの強がった素振りはなりを潜め、顔には朱が差し、瞳は蕩けて行為への期待に満ち、すっかりと緩みきっている。
「ああ、分かっていると思うがここからは声、我慢しないようにしてくれよ」
既に柔らかく解された後孔に、ローションが追加され、軽く指が入れられて中の具合を確かめられる。やっと与えられる快楽を求めて、内壁が、男の指をぎゅうと締め付け、ねだるように腰が揺れる——。
次の瞬間、待ちかねていたものが思い切り根元まで突き入れられた。
「……ん、っ、…あぁっ……!!」
先程まで口淫を施していた、ぶくりと昂ぶったペニスが内壁を捲り上げ、ぎちぎちと体内を押し広げて侵入していく感覚にぞくぞくと身体が悶える。
今日もきっと、声が枯れるまで抱き潰されてしまうのだろう。
「ほら、あの後輩に言ってやったらどうだ? いつも外に出る度に上司の男に犯されてますって。後ろから突かれるだけでオーガズムを感じる淫乱です、ってな」
「っ…! もう…、彼の話は良いでしょう、っ、それとも、何か? …っぁ…、知った人間が近くに居るのが…っ、気に食わないのですか、っ…?」
「はは、妬いているとでも? ああ、良い考えかもしれないな、今度彼もここに呼んでやろうか?」
「…っ、冗談でも…っ、やめて、ください、っ、彼は慕ってくれていますが、ぁっ、決してそういう関係では、っ、あ゙、あぁあ゙あっ…!」
話の途中で腰を掴む手に力が入り、男の律動がさらに強くなる。力任せに体重を乗せ、押し付けられるその圧迫感や苦しみでさえ、今は気持ち良さに全て変換されてしまう。言葉にならない濁音が喉の奥からひっきりなしに漏れる。身体は汗ばみ、ゾクゾクと性感の波が身体に伝う度に身悶える。突き込まれ、揺さぶられ、引き抜かれる度に感じる自らの慰めなどでは到底味わうことの出来ない強烈な快感。我慢ができず、放たれる喘ぎ声が厭に耳に付く。こんな情けない声をあげて、男のものを悦んで受け入れているなんて——。
行為は飽きる事もなく、一晩中続けられる。部屋に響き渡るのは、理性を飛ばしてしまったように放たれ続ける嬌声と、それを煽る様な男の声。
男が達する度に、コンドームの箱が中身を減らしていく。
仰向けに押し倒され、そのまま突き込まれると、なすすべもなく乱れてしまう。
中断し、水分補給をしようと立ち上がっても、後ろから抱きつかれて容赦なく行為を再開された。
「〜〜〜っ!…、止めて、くださいっ、もうイってます、もうっ、…何回もっ、あ゙あっ、あ、…あ、ぁっ」
どれだけ懇願しても、彼が満足するまでは決して離してもらえない。下腹を抑えられ、後ろから一番弱いところを探るように突き当てられてよがらせられてしまう。
「前、もう押さないでっ、そこ…また来るっ、あっ、ぅっ、あ゙ぁ、あう、ゔ、ぅっ……!」
もう何度快楽の波が押し寄せ、頭の中がハレーションを起こしてしまったかしれない。目の前が何度も白く飛び、その度にガクガクと身体は痙攣した。
「も…!お願いしますっ…、一度、離してください…」
「もっと手酷くしてほしいくせに まだまだ物足りないんだろう」
「いえ、ほんとに、もう無理です、から…っ、あ、あ゙〜〜゙〜っ!ゔ、ぐっ、あ゙ぁあぁっ!」
◻︎
やっと解放された身体をぐったりとベッドに沈めながら息を整える。どうにかシャワーだけでも浴びなければ、と考えながらも体は言う事を聞かず、顔に掛かる乱れた髪を払いのける事も、上体を起こす事もままならなかった。
上司の方は、まだ余裕があるようだ。
——毎度の事だが、彼の強靭さには恐れ入る。
ふと、無造作に放られた空き箱が目に入った。一晩で一箱使い切るやつがあるか、と未だ健在なその絶倫ぶりと、自らがそれを受け入れ続けた事実に、ヴァレーは空恐ろしくなった。
「そっちは相変わらずか? 人が増えたところで君の負担が軽くなるわけでもないんだろう」
目の前の男から、仕事の話が向けられた。
「……どうでしょうね」
「まあ、そうなんだろうな。残念ながら、君の為に根回し出来ることも限られているからね。こちらで研究職に就く気も無いんだろう?」
「……ええ、貴方の元で働くならまだ刑務所の方がましですよ」
ヴァレーはそう言うと、小さく笑った。
「はは、なんだ。まだ減らず口を叩く体力は残っているんじゃないか。ああ、そうだ。あの違法薬物だが、少しずつ成分分析が進んでいるよ。まだ仔細を明かすことは出来ないが、そのうちに君の元にも情報が届くだろう。少しでも役に立てば良いのだがね——」
ヴァレーは男の言葉を聞くと、カウンセリング対象者の情報を頭の中から引き出していた。
かたや分析機関の研究所長、かたや医療刑務所の室長だ。どちらもこの世界ではそこそこ名が知れている。その二人がまさかこんな関係だと、周りの人間は夢にも思わないだろう。
その立場もあるのだろうが、仕事の話をすれば直ぐにでも頭が切り替わるのが常だった。
「……それは助かります。一体誰が、何の為に流しているのでしょうね」
「我々には知る由もないよ。王都警察の仕事だろうが、あれが認識されて二年は経つのに何の成果も上がっていないみたいだからね。——ああ君、暫くは人前で面を取らない方が良いかもしれないね」
男はそう言うと、首元に軽く指を当てて口の端でにやりと笑った。
「は? ……なっ、貴方また……っ!」
自らの身体を見ると、既にいくつかの鬱血痕が体に散らされていた。
「はははっ、やはり気付いていなかったのか? 嬉しそうに抱きついていてくれたから許してくれているのかと思っていたら」
何度も意識が飛びかけてすっかり忘れていたが、思い返せば確かにその行為を許した——というか、まずいとは思ったが遮る余裕が全く無かったのだ。
——ああ、これでまた暫くは後輩の望みを叶えてやることが出来なさそうだ。
ヴァレーは頭を抱え、男を呆れたように睨み付けると、その跡を確認する為にも重い身体を起こし、浴室へと向かって行った。