責問所

 

「あの——ここは?」

「おや、ご存じありませんか? 火山館の下、地の底の責問所ですよ」

今日の予定表には一言、「火山館」と書かれていた。青年は大方、大法廷で傍聴でもする事になるのだろうかと考えていたのだが、その予想はどうやら外れていたようだ。

王都からは、直通の転送門を使えと指示があった。
ゲルミアの地は遠く、ここローデイルとは正反対の場所に位置している。
トラムなど正規の交通手段を使うと片道で数時間は掛かる場所だ。
彼らには、必要とあらば転送門の使用が認められていたのだが、王都内部と直通であるそれは外部からの侵入の対象とならないよう、厳重にその利用が管理されている。
着任間もない青年にはまだその権限は与えられておらず、上司と同行でなければその門を使う事はできなかった。

火山館に着くや否や、ヴァレーは館の女主人への挨拶を恭しく済ませ、彼女から労いの言葉を受けると責問所への鍵を預かった。そうして彼らは、いざ地底へと向かったのだった。

「——火山館の地下というと、かつての貴族やしろがねの民などを拷問していたというあの場所ですよね。使われなくなって久しいと聞いていましたが?」

「表向きはね。ですから、我々が職務上知り得た事は他言無用なのですよ。あの悪名高い地下責問所がこの現代でも変わらずに稼働していると知れれば、臣民から批判が出る事は明らかでしょう。上もそれは危惧しています。勿論、対象となるのは罪人ではありますが」

二人は暗がりの中、ランタンの明かりを頼りに石造りの階段を降りていく。蛇のように長く曲がりくねったその道を下り、更なる地の底へと歩みを進めた。

ここ火山館はその名の通り、ゲルミア火山の麓に位置している。その昔は絶えず新しい溶岩が吹き出し、流れ込み、大地を埋め尽くす地獄のような灼熱の地だったそうだ。しかし、今や火山は活動を止め、かの溶岩地帯もすっかりと黒く冷え固まっていた。溶岩が真っ赤であった頃はこの地下空間に灯火など無くとも問題は無かったのだろうが、今は冷たく静まり返った暗闇を照らすために点々と明かりが灯され、彼らの行先をぼんやりと映し出していた。

「足元が暗いので、この辺りでは滑って転ばないように気をつけてくださいね。生憎、余計な手当の用意などは持ち合わせていませんから」

「え、うわっ!!」

その声を聞いた青年が、途端につるりとその足を滑らせた。
ヴァレーは一瞬ぎくりと目を丸くしたが、青年がうまくバランスを取り、何とか転ばずに体勢を立て直した事に、ほっと胸を撫で下ろす。

「はあ……。貴方、言ってる側から驚かせないでくださいな……」

「す、すみません……」

青年も、目の前の上司の言わんとする事は分かっていた。溶岩地帯で転ぶのは、割れたガラスの上で転ぶようなものなのだ。
黒く冷え固まったそれは、かつての溶岩のうねりや勢いをそのまま岩肌に残しており、明かりを反射してきらりと輝く亀裂は匿した鋭さを誇示するかのように見えた。
この上で転び、もしも当たりどころが悪ければパックリと大きく手足を切ってしまっていただろう。

その想像に、彼は小さく身震いをした。

「……私たちの居る地下医療刑務所とは大きな違いですね。ここは、舗装や整備などはしないのでしょうか」

青年が、率直な感想を述べる。

「火山館は今も、この雰囲気を好む者が多いですからね。罪人にとっても仔細を知らされず、昏い地下を襤褸布一つで引き立てられ、責問所へと向かわされるのはそれだけで身の竦むような思いでしょう」

ヴァレーは内情の説明をしながらも器用に溶岩地帯を進んでいく。足取りは慣れたものだ。青年も慎重に、だが遅れまいと彼に着いていく。

「——責問所に送られる罪人はどういった基準で?」

「基本的には法務官の裁量次第——ですが、ある程度の傾向はあります。一つは、思想犯。他に同じ思想を持つ者が無いかの炙り出しと、二度と王都に逆らわないように。そしてもう一つは、快楽殺人者等への拷問。これは手酷い拷問が好きな責問官への褒美のようなものでしょう。そして最近は、あの違法薬物の斡旋者について、情報を吐かせる為にも責問が行われているようです」

「斡旋者もここに送られるんですか」

「ええ。私は担当している業務があるのでこうして呼ばれますが、今のところ斡旋者たちから製法やルートなどに関わる有益な情報は手に入っていないようですね」

二人は長い時間をかけてようやく、目指す先の責問所へと辿り着いた。
館の女主人から預かった鍵を使い、中に入ると人影が目に入る。
女性だろうか、と青年は思った。正面の大きな台に向かい、何やら作業をしているようだ。

「あの、初めまして」

声を掛けられた女性がくるりと青年に向き直った。彼女は巫女の姿をしており、どうやら大鉈の手入れをしているようだった。
しかし、彼女はこちらに目を向けたものの表情一つ変える事もその口を開く事も無く——ただ、彼の事をじっと見つめていた。
何故かは分からなかったが、青年は彼女の瞬き一つしないその視線に、何か恐ろしいものを感じて、背筋がゾッとした。

「どうも。よろしくお願いしますね」

身をすくめている後輩をよそに、ヴァレーは女性に向かって柔らかな口調で、軽く挨拶をする。
彼女は未だ無言で二人を見据え、無駄な動きを全く見せなかった。殆ど顔を動かすこともなく、目もがっちりと見開いたままだ。暫くはその目の動きだけで二人をじろじろと眺めていたのだが、どうやら気が済んだのだろうか。彼女は作業台へと向き直ると、また大鉈の手入れを再開したのだった。

そうしているうちに、ギィ、と部屋の奥から鉄製の重たい扉が開く音がする。また、新たな人影だ。

「——どうも、ギーザ責問官」

「ああ、ヴァレー殿、ご機嫌よう」

「今日はこちらの部下も見学させていただきますね」

その姿を見て、青年はまたもギョッとした。
今しがたギーザ責問官、と呼ばれた男性は、明らかに異様な風体だ。その身体は余すところなく包帯でグルグル巻きにされ、包帯には血が滲んで薄汚れている。男性だと分かったのは声によるところだが、それは恐ろしく引き攣れた嗄れ声だった。

——先程の無表情な女性といい、この包帯男といい、彼らがここの番人なのだろうか。

かなり個性的なメンツではあるが、青年の上司はもう慣れているのだろう。
彼がおっかなびっくり挨拶を返そうとする間に、何を気にすることもなく仕事の話を始めた。

「どうです? あの件について、何か情報は出ましたか」

「いいや、さっぱりですな」

「今日はまた新しい者が?」

「ああ、そうだ」

「斡旋者、ですか」

「いいや、殺人だ。今回は何を使ってもいいから徹底的にやってくれと」

包帯の男は嬉しそうに言った。

「はぁ。そうですか。後処理が大変そうです。お互い仕事が絶えませんね」

「私は好きでやっているからそう苦にはならないがね」

「存じ上げていますよ——少しは私の身にもなってくださいね」

呆れるように大きな溜息を吐いたヴァレーを横目に、包帯塗れの責問官は地の底から這い出すような不気味な笑い声を響かせた。

「では、そろそろ始めようか」

彼は部屋の中の時計を見てそう言うと、ややその足を引き摺りながら、先程現れた部屋の向こうへと消えていく。

「我々も向かいましょうか」

ヴァレーが先導し、先程の責問官とは違う扉を開いてその中へと入る。青年も遅れないように、後ろから付き進む。

「う、わあ——」

中はどうやら監視室のようだ。
目の前は壁ではなく、隣り合わせの部屋を映すように一面の大きなガラス張りになっていた。向こうには、先程別れたばかりの包帯男の姿が見える。
ギーザ責問官は何やら、大きな燭台のようなものを携えていた。

——向かいの空間は薄暗く、酷く汚れていた。

簡素なタイル張りで、壁からは錆びついた配管が剥き出しとなり、スチールのワゴンや作業台、そして、何に使うか分からないような器具が乱雑に部屋の隅に置かれていた。ぎざ刃の車輪のような道具が一際その存在を主張している。
そうして見渡していると、入って直ぐには目に入らなかったものの、部屋の中央に立ったまま鎖で繋がれ、磔にされて身悶えている罪人が見えた。
彼は身を捩り、忙しなく辺りを見回している。

先程の包帯男が、大きな燭台を手に、罪人の元へと近付いた。
燭台の先端は鋭く尖り、無数の突起が見て取れる。その形状は、さながら刺又のようだった。
責問官が燭台の柄をぐり、と捻ると、先端から炎が大きく吹き出した。

「——うわ、あれ何ですか」

ヴァレーは部屋の中に置かれていた調書に目を通していたが、青年の言葉を受けて顔を上げると、事もなげに応える。

「あれは責問燭台。ここ火山館の拷問具の一つです。あの無数の突起が皮膚を抉り、灯火がその傷を焼く。そうしてその皮膚の、血の焦げる匂いが相手に絶望を確信させるのだそうですよ。まあ、よく考えられた燭台ですね」

彼の言葉とほぼ同時に、責問官の持つ燭台が男を責め立て始めた。燭台の先端に取り付けられた棘が、罪人の肌を深く突き刺し、手酷い苦痛を与えていく。こちらまで届くはずもないのに、肉の焦げる嫌な臭気が想像だけで鼻腔を侵す。男の叫び声までもが聞こえてくるようだ。

「——う」

目の前の光景に、青年は吐き気を隠せなかった。横からす、と手布が差し出される。

「……先輩、慣れたものですね」

面を上げ、差し出された手布を受け取り、口を抑えながら青ざめた顔で彼は言った。

「慣れたくはありませんがね。それだけこういった輩が多いという事ですから」

「殺人、と先程言っていましたが、あの男は一体何を?」

ヴァレーは口にするのも厭わしいという風に目元を歪ませると、先程目を通したばかりの調書を無言で彼に手渡した。

『——行方不明、アルター高原の森の中に十六人の遺体。うち八人については自供、余罪未だ多く』

青年が表題を読み上げて、ページを捲る。
目の前に飛び込んで来た被害者の写真の数々と、内容の残忍さに彼はついに足元のゴミ箱を拾い上げた。

「彼はライカードの前で司法取引を持ちかけたようですね。余罪をチラつかせ、刑の確定を引き伸ばそうとしていました。実際、そういった理由で分析対象になる者もいますから。しかし、今回は必要なしと判断され、そのまま責問官に引き渡されました。ただ、余罪は追求しなければなりませんがね」

ヴァレーは、今の話が聞こえているのかいないのか——すっかりゴミ箱と友達になってしまった部下を見遣ると、少しの憐憫を含んだ眼差しを彼に向けた。

——数刻ほど経っただろうか。
壁の向こうでは血塗れの男が何かを必死に訴えていた。
ヴァレーが配電盤の近くにある拡声器のスイッチを作動させると、部屋の中に耳を圧迫するような、歪みのついた高いノイズが響き渡る。
彼はその音に目を歪め、耳に手を当てると拡声器に向けてこう言った。

「ギーザ責問官、時間です。今日はその辺りでいいでしょう」

血や脂汗やさまざまな人間の体液で汚され、お世辞にも手入れが行き届いているとはいえないガラス張りの向こうの部屋に、ヴァレーの低く、割れた声が響く。
罪人はだらりと頭を垂れ、身じろぎもしなくなっていた。足元の赤黒い血溜まりが、鮮血の筋を作って排水溝へと流れ込んでいく。

責問官はヴァレーの合図を聞き届けると、まだ物足りなさそうに肩をすくめて燭台の灯火を消した。

「——では、私は処置室へ行ってきます」

拡声器の電源は既に切られていた。

「え?先輩がここの処置も担当されてるんですか?」

「ええ。何ぶん人手不足で。ただ、私の手技はそう誉められたものではありませんがね」

くすくすと笑うその目は、どこか自嘲気味に見えた。

「あー……はははっ」と青年も苦笑いを返しながら、かつての記憶を辿る。
そう、座学では落ち度のない先輩だったが、彼の手技はお世辞にもセンスが良いとは言えなかったのだ。

先輩を見送り、部屋に一人取り残されていると、また扉の開く音がした。
先程のギーザ責問官が、責問燭台と呼ばれた拷問具の手入れをしながら此方へやってくるところだった。

「お疲れ様でした。本日は見学させていただき、ありがとうございます」

「ああ、ヴァレー君の後輩か。君はこっちの方はどうなんだい?」

そう言うと、彼は手を鋏のように動かした。外科的な処置の話だろうか。

「外科方面のことですか? いや、私も元々は内科志望から先輩を追いかけて分析官のコースに入ったクチで。さっぱりですよ」

「そうかい。残念だ」

ギーザ責問官が嘆息した。

「残念?」

「うーむ。実際のところ、ヴァレー君の手技はどうなんだい? ここで落とせなかった相手も、彼の処置中に口を割ってしまう事が多いんだよ。尤も、法務官や王都上層部からは私の功績だと思われているのだがね。いや、私だってあと一日あれば十分に彼らを落とせるだろうさ。責問は三日三晩に渡って行われる。こちらのペース配分もあるというのに……」

ギーザ責問官はせわしなく歩き回りながら話を続ける。

「いやなに、人手不足の中で唯一の医師としてこちらに来てくれているのだから文句は言えまいよ。ただ、もし君が代わりに来てくれるのであれば彼の負担も少しは軽くなるだろうかと思っていてね。まあ、君さえよければ、また考えてみてくれたまえよ」

彼は言い終わると、青年の肩の上に血汚れた包帯まみれの手を置いた。
目の前の男がどうして血の滲んだ包帯に全身を包んでいるのか。それは分からないし絶対に聞きたくない、と彼は思った。その包帯の、ほんの隙間から覗く瞳は白っぽく濁っていて、青年の背筋を更にぞくりと震わせた。

「私も彼の処置を覗いてみたいのだが、役割として認められていなくてね。ヴァレー君も、どういった経緯で口を割ったかまでは教えてくれないんだよ。アナスタシアが補佐で入ってくれてはいるが、彼女は何も話さないからね」

「アナスタシアさんって、先ほど入り口でお会いした巫女さんですか」

そうか、処置の補佐をしてくれているのか——と、彼は思った。
きっと、先輩とアナスタシアさんの二人に処置をされて飴と鞭のように、あの責問との温度差で口を割っているんじゃないだろうか。
彼女の目線はどうにも恐ろしいものだったが、人形のような綺麗な顔をしていたし。
先輩も、手技は独特かもしれないがあの口調で手当をして貰えるのだから罪人も悔い改める事もあるかもしれないだろうと。
そんな風に、処置室の光景を想像していた。

そう。責問官から次の言葉を聞くまでは。

「尤も、彼女の目的はしばしば切り落とされる肉が目当てだからな。それ以外には何の興味もないだろう」

「肉——って、その罪人の?」

「ああ、彼女の嗜好だよ。彼女の異名は、『褪せ人喰いアナスタシア』だ」

そう言うと、責問官は白っぽく濁る目を嬉しそうに歪めた。

「…………嘘でしょ」

ああ、もう無理だ。ここは一般人がおいそれと足を踏み入れて良い場所ではなかった。いつか何かで見たような、スプラッター・サイコホラーの世界なのだ。自分には火山館でのお仕事は到底できそうにない。本当に申し訳ないが、先輩の負担を軽くするのは何か他のことで貢献することにしよう——。

彼は再び込み上げる吐き気と頭痛の中、胸の内で小さく謝りながら、そう心に誓ったのだった。

 

◻︎

 

「——今日もまた手酷くなさりましたね」

ヴァレーはやれやれといった風に独りごちた。

目の前の男は拘束台に縛り付けられ、唸り、暴れている。

「そう動かないでくださいな、的が外れます」

彼はそう言うと麻酔もなしに、爛れた創部を切開し始めた。男の断末魔のような叫び声が上がる。その耳元に顔を近づけると、こう囁いた。

「ですから言ったでしょう。大人しくしていてくださいと。協力していただければ、すぐに終わりますから」

男の剥き出しの、怯えきった目がヴァレーへと向けられる。

「まあ、情けない。貴方の今抱いているその感情が、少しでも手にかけた者たちに向けばよかったのですがね。今更な事ですが」

彼はそう言って立ち上がると、男の傷だらけになり、所々肉が削げ落ちた身体に化膿止めをぶち撒けた。その液体は男の肉を容赦なく抉り、その神経にじゅうじゅうと灼けるような熱と痛みを与える。

男の声が一際大きく部屋の中へと響き渡った。

「さあどうぞ、しっかり我慢してくださいな」

——部屋の入り口の近くでは、アナスタシアがその光景をつまらなさそうに眺めていた。
今日の男の損傷具合を見るに、残念ながら夕飯は手に入らなさそうだ。
ワゴンに置かれている解体包丁を見て、その身体がじくりと疼く。

「——すみません、そちらの包帯をいただけますか?」

目の前の、白面の男の言葉にふと意識が引き戻される。
彼女が無言で包帯を手渡すと、小さく感謝が述べられる。

アナスタシアはもし食べる事ができるなら——目の前の罪人たちよりも、この白装束に覆われた男の方がずっと美味しいだろうと常々考えていた。
その面の下の顔も、実際の身体つきも目にした事はないのだが、そこそこの年齢でそれほど筋肉質でもなさそうで。調理するならばどの部位が良いだろうか。罪人たちの肉は裁かれるまでの間に投獄されているからか、痩せぎすで筋張っていて硬すぎた。余計な脂も多く、全く質の良いものではない。しっかりと臭み取りも必須になるのだが、目の前の男ならばきっとそのままシンプルに焼くだけで食べられるのではないだろうか——と、妄想に想像を重ね、その有り余る食欲を紛らわせていた。

そういえば、先程の受付で見たのは目の前の男の部下だろうか。あの男はもう少し若く、引き締まって見えた。赤ワインで長く煮込めば、さぞかし上質なスープになるだろう。

彼女は虚空を一点に見つめると、またその妄想の中にぼう、と意識を飛ばしていった。

——終わりましたよ、どうぞ。

ヴァレーはいつものその様子を見て、処置が終わるとやや大きめに彼女に声をかけた。

実際のところ、ヴァレーは数日に渡る陰惨な拷問に付き合いたいとは思っていなかった。
こうして時間は取られる上に、彼女が横に居るとどうにも落ち着かない。彼女の嗜好は承知している為に、捕食者の視線が自らに向けられている事にも気付いていた。
いつかその包丁を振り翳し、襲い掛かられるのではないかと処置の間も気が気ではない。

麻酔なしでの処置が罪人たちに多大な苦痛を与える事は分かっていたが、どうせ口を割るならその方が早いと半ば割り切ってもいた。
ギーザとは仕事上の付き合いもあり、その熱心な姿勢に一定の評価はするものの、根底では分かり合えないと感じていたし、その嗜虐趣味については分かりたくもなかった。

一切の同情の余地もない、この責め苦を受けたおぞましい殺人者が嬉々として行った悪行と、彼が王都から「職務」として与えられている事と。そこに一体何の違いがあるというのだろう。

全ては欺瞞に満ちている——と、彼は思った。

王都の汚れ役を一手に引き受け、こうして影で暗躍する我々は皆、この世界の安寧を保つための名もなき歯車なのだろう、と。

かつて華々しく、王都の医師として忠誠を誓った筈のあの輝ける記憶は一体何処へ行ったのか。
王都への反逆者、思想犯はこの責問所に送られて二度と逆らう事のないようにと手酷い拷問が加えられる。
目の前の拷問を受けた人間のその姿は、もしかすると自分の行く末なのかもしれないと——そんな馬鹿げた考えが、意識の奥底からぐらりと込み上げて燻った。

最近はあまりにも疲れているのだろう。呪詛のような思いが、益々隠しきれなくなってきていた。
このままではまずいと思いながらも、ヴァレーは男の叫び声が響き渡る部屋の中で——そのどす黒い澱の様な考えを止める事が出来なかった。

何とか無理矢理にそれを振り払い、気を取り戻すと目の前の男に向けて声を掛ける。

「処置をしてもらえるだけ感謝してください。貴方が残忍に殺した相手にはそんな事、どれだけ願おうとも許されなかったのですから。数日のうちに断頭台の露となるかどうかは、貴方の悔悟の告白に掛かっています。せいぜいこうして繋がった生を、その意味をよく考えてくださいね」

やや怒りを押し殺した声で、殺人鬼の耳元でそう囁くと、男は血走ったその目を大きく見開いた。
そうして、振り絞るような声を出して余罪を詳らかにし始めたのだった。

どの道、目の前の男の運命は決まっている。
ヴァレーはそう思いながらも、滔々と語られ始めた、罪人の告白を——その手を握り、その目を相手には悟られぬように、だが空虚に見つめながら、静かに黙って聞いていた。

——明日以降は、もうここに来る必要は無いだろう。

全てが終わると、彼は内心でほっと胸を撫で下ろし、その面の内に小さく息をつく。アナスタシアに声を掛けると、先程の男の告白が綴られた記録紙を預かり、軽く目を通してその内容を確認した。

鉄製の重い扉をゆっくりと開き、流れ込む新鮮な空気を肺の奥深くまで吸い込む。そうして先程までの昏い感情に蓋をするように——彼は振り返る事なく、その処置室を後にしたのだった。