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「——おい。おい、起きろ」

何者かに肩を揺すられ、ヴァレーは暗闇から意識を戻した。腰から下は鈍い痛みを訴え、腕すら満足に動かせない。ぼやけた思考とぐらついた視界を、黒い人影が遮っていた。相手が身につけているのは黒い外套のようだ。誰だろうか、もしや、同室の——。

「痛……ッ!」

「大丈夫か。かなりひどくやられたようだな」

「な……ぁ……?」

聞こえてきた声は、思う人物のものとは似ても似つかなかった。痛む頭を抱え上体を起こしたヴァレーは、布に包まれている自らの身体に気が付いた。
途端、忘れることの出来ない恐ろしい記憶が甦る。身体中の痛みと共に、あの衛兵たちに苛烈な暴行を受けた記憶が呼び戻された。

「う、あ゛ぁぁぁあっ……!!」

「おい、落ち着けって。誰にも言いふらしやしねえよ」

男は錯乱して暴れるヴァレーの腕を掴むと、ぐいと引き寄せた。そこには鬱血の残る注射痕が、はっきりと残されていた。

「薬を打たれたんだろう。あいつらの常套手段だ」

「衛兵たちに……あ、ぁ……」

「それで?」

「……体が……言う事を効かなくなって……その後は……う、ぅっ……」

ヴァレーは被せられたシーツを固く握り込み、顔を伏せて身を震わせた。

「その薬、後遺症に悩まされるだろうな。日常生活にも支障が出る。薬が抜けるまで、その感覚はお前の身体を苛み続ける」

「な……ッ、そんな……後遺症とは……?」

「これを飲め。一時的にはどうにかできるだろう」

男は小瓶を差し出した。ヴァレーはそれを、受け取ると、躊躇いがちに傾ける。
口に含むと、甘くとろみのある液体が傷ついた喉へと流れ込んだ。喉がひどく渇いていたせいもあり、ごくりと一息に飲み下す。途端、喉のひりつきは癒え、僅かな高揚がもたらされた。

「貴方は一体? どうして、ここに……?」

ヴァレーはようやく落ち着きと、正常な思考を取り戻し始めていた。それは、男の姿も影響を与えていたのかもしれない。目の前の男は黒いケープを目深に被っている。この大教会でこうした身なりのものといえば、密使以外にはあり得なかった。

——同室の彼から聞いた話によると、密使には各々の役割があるとされ、役割の異なる者同士が顔を合わせることは滅多にないという。時に利害は反目し、互いに理解の及ばぬ事もあるそうだ。だが、課せられた密命を全うする、それだけが、彼ら密使の存在意義であるのだと。

目の前の男は纏う衣服こそクレプスのものと酷似していたが、外見は似ても似つかない。衣服に目を走らせていると、黒衣の端には燃え盛る火が踊り狂うかの如く、刺繍の紋様が施されているのが見えた。
向けられた視線の先を見た男は、こう応える。

「俺は拷問部隊の一員だ。と言っても、今は俺だけだがな。今どき異端審問なんざ、誰も志願したがらねえ。密使の面汚し、はぐれものさ。まあ、俺の事はどうだっていい。困ったらこの薬を飲め」

ヴァレーの手には、先ほどの小瓶と同じものが握らされた。

「——だが、余分は無い。次に将校から物資の補給があるのは三日後。鎮められるのは一度の発作だけだろう。俺は異端者どもを拘禁する隔離棟の地下にいる。何かあれば、尋ねて来い」

「あの、ご親切に……」

顔を上げた時には既に、男は部屋を立つところだった。

「ッ、う……」

下半身を動かそうとするたびに、引き攣れるような鈍重な痛みが襲う。恐る恐る布を持ち上げて覗き込んだ下腹は痣まみれになっていた。
起き上がろうと、身体を持ち上げる。下腹に負荷が加わった際に、ごぽ、ごぷっと嫌な音を立てて——生温かい液体がどろりと太腿を伝った。

「ひぃ……ッ?!」

その感覚に、ぞくりと肌が粟立つ。それは下肢を伝い、どろどろと床に垂れ落ちていく。白く濁ったそれが衛兵たちに代わる代わる体内に残された精液であると気付くや、猛烈な吐き気がヴァレーを襲った。

「うぶっ……ぐ、う……うげぇっ……」

——衛兵たちの慰み者にされてしまった。太腿を汚す多量の精液と下腹部の痛みが、その事実を彼に伝えていた。

実習が始まってからというもの、同室の彼と過ちに交わした口接の意味にずっと囚われてしまっていたというのに。それが親愛以上の意味を持つときに、どういった行為と結びつくものになるのか。ヴァレーは信徒としての誓いに思いを巡らせざるを得なかった。肉欲とは卑しく、神の教えに背く行為である。そして、同室の彼と行ったあの拙い行為は、あくまでも親愛の域を出ないものであり、そうした誓いを侵すものではないのだと——そう自らに、言い聞かせようとしていた。

だが、その誓いがこうもあっけなく終わりを迎えてしまうとは。一体どうして、誰が予想できただろうか? 
これはあの日、戯れであろうとも、信徒として侵してはならぬ領域に踏み入ってしまった事への罰なのだろうか。

ヴァレーは先ほどの男に持たされた薬瓶に目を落とす。

黒衣の男に偶然にも助けられた事。だが、同室の彼とは似ても似つかぬあの姿に、込み上げる嗚咽を抑えることが出来なかった。
 
  

  †

あれから数日が過ぎ、ヴァレーは部屋で一人、休息を取っていた。
だが、今朝からどうにも身体の様子がおかしい。

——熱い。

あの時と同じ火照りが、ゆっくりと身体を蝕み始めていた。次第に全身が疼き、顔が紅潮し、滲む汗が身体を伝う。特に下腹部、それも雄の中心が熱を持ち、じくじくと甘く痺れ始めていた。腰周りの感覚が重たくなる。欲が溜め込まれて頭を埋め尽していく。

幸い、クレプスは密命により部屋を空けていた。ヴァレーは自らの異変に狼狽えながらも、滾る欲に耐えかねて寝台の上で自らを慰めた。

「っ、うぁ……ッ、は、ぁ……」

一人で処理は済ませたが、開放感と脱力の後でも、まだ欲求は収まらない。特に、男たちに嬲りものにされた後ろの穴が、ヒクヒクと切なそうに疼いている。

「嘘……そんな……」

流石に、そんな場所を慰める訳にはいかなかった。それに密使の彼とて、いつ部屋に戻ってくるかは分からない。

——これがあの男の言った、後遺症なのだろうか。

ヴァレーは急ぎ、黒衣の男に渡された薬を飲み下した。
甘い液体が、じわりと喉を潤していく。すると、奇妙な火照りと官能的な疼きはたちまちに消え去り、身体がすうと楽になったのだった。

だが、薬の効果も長くは続かなかった。
数晩ののちにはもう、あの過剰な熱が身体の中に留められていく感覚がぶり返してしまっていた。
クレプスはまだ戻らない。彼が帰ってくるまでに、どうにかこのおぞましい感覚への対処法を見つけておかなければ。自らを慰めている行為など、決して見られる訳にはいかなかった。そんな事実が知られれば、間違いなく禁欲の誓いを守れぬ俗人だと非難され、軽蔑され——今まで築き上げてきた友情など、いとも簡単に崩れてしまう事だろう。

隔離棟の地下、黒衣の男はそう告げた。
今は一刻も早く、その場所に行く必要があった。
夜更けに、ヴァレーはそっと部屋を抜け出した。目深にフードを被り、闇に身を溶かして隔離棟へと急ぐ。
誰にも見られないよう。とりわけ、あの衛兵たちには見つからないように。

 

「——やっと来たか」

「ええ……どうにも、身体の様子がおかしくて……」

ヴァレーは紅潮し、潤み、辛そうに歪めた目元で男を見つめた。

「あいつらはそうした症状が出ることも承知だ、また狙われるだろうな」

「また、あの者達に……? いえ、でももう、彼らに近づくことは——」

「お前はとんだ世間知らずか? そんな事、問題にすらならねえよ。あいつらは機会を狙って、確実にお前を襲うだろうさ」

「そんな……! お願いです。また、あの薬を譲っていただけませんか……?」

「ああ。もちろんだ。だが、俺に何の得がある?」

「それ、は……」

「辛そうだな。すぐにでも楽になりたいんだろう」

男がヴァレーの肩をぐっと押さえ込む。指が食い込んだ肌は、それだけで過敏に神経を反応させた。

「……ん、うぁ、ッ……!!」

びくりと身を強張らせた次の瞬間——男の舌が口を塞ぎ、舌がずるりと押し込まれる。

「ふ、ううっ……!?」

壁際に追い込まれ、押さえ付けられた顔。ぐちゅぐちゅと卑猥な音が鼓膜に響く。だが、その感覚と先ほどからの疼く熱に、既に頭は溶かされ始めていた。
息継ぎとともに舌を引き抜いた男が、惚けた顔のヴァレーに言う。

「一度発作が出たら『お前が』満足するまでは収まらねえ。薬は数日はどうにかできるが、あくまでもそれを抑える程度だ。どうだ? その相手を、俺がしてやるってのは」

「な……そんな話……っ」

「何か違ったか? 帰りたければ好きにしろ。あの衛兵たちはお前に目をつけてるぞ。付け狙われて、姦されて、ボロボロになりたい物好きだってんならな。まあ、俺ならそう酷いようにはしないさ。むしろ、丁重にもてなしてやる。拷問部隊は俺一人。こんな場所だ。誰に知られることもねえ」

男はフードを捲り上げた。そこには、生々しくも醜い傷跡が残されていた。

「地下に一人で詰められて、娯楽といや咎人どもの背中を切り刻むことぐらいさ。楽しまなきゃ損だろ? お互いによ」

男の手が、ヴァレーの腰を抱き寄せる。

「お前も早く解放されたいんだろう? その身体の疼きの元、植え付けられた烙印から」

「そんな、事……」

早まる呼吸に、ヴァレーは目を伏せて顔を逸らした。はっきりと否定が出来ないまま、再び昂り始めた身体に更なる追い打ちがかけられる。

「別にいいさ。そのうち同室のヤツを誘うようになるぞ。誰だか知らねえが それでもいいってなら——」

「それは……!」

ヴァレーは顔を上げて語気を強めた。焦るような口調に、男は口角を釣り上げる。

「ほう、そうか。関係を壊したくないような友人がいるなら、なおさらそんな淫らな発作で迷惑をかける訳にはいかないんじゃないか?」

「ッ……」

「衛兵からは俺が守ってやる。俺の言う事を、ちゃんと聞いていればな」

項垂れ、力を失くしたヴァレーに選択肢は無かった。

「——よし、決まりだな。用意は出来るか? 俺がしてやってもいいぞ。拷問の方だと腹一杯に水を溜めて蹴り飛ばしてやるんだが、普通のやり方だって心得てるさ」

その言葉を聞いて、衛兵に幾度も踏みつけられ、青痣塗れになった下腹部がぎゅうと痛んだ。

「……いえ、自分でできますから」

ヴァレーは自分より一回りも大きな男を見上げると、搾り出すような声音で呟いた。

「あまり……酷くしないでくださいね」

 

 

  †

ヴァレーは洞窟の中で目を覚ました。

夢でも見ていたのだろうか。内容は思い出せないが、頭は重く、不快の感覚だけが全身を包み込んでいる。
立ち上がろうと、強張りに痛む身体を揺すった。汗ばむ肌に、装束がぞろりと纏わりつく。身体を包んでいた血の高揚はすっかりと消え、もう讃美歌も聞こえない。

——閨での睦みごとが、終わったのだろう。

べたつく身体を清めて身なりを整えたヴァレーは、自らがバラ教会と呼ぶ場所へと向かっていた。
そこは戦火の内に壊された巡礼教会——その廃墟を、血の君主を崇め、王朝に賛同する者を招くためにと作り替えたもの。
この狭間の地で、ヴァレーが身を捧げるは血の王朝。その教会たるに相応しく、血濡れの汚泥に覆われた土壌、血混じりの肉塊に寄生されたかのようなグロテスクな組織が覆う廃墟の内壁、そして溢れる血を糧に咲き誇る鮮血の薔薇たちが、ヴァレーを出迎えていた。

だが、この日は既に、一人の騎士が教会の内に居た。
ヴァレーは騎士に近づくや嫋やかに、そっと彼にしなだれかかる。
それは、この男との逢瀬をずっと待ち焦がれていたとでも言いたげに。
騎士はその仕草に当てられたのだろう。白面の腰へと、性急に手を回した。

教会の中——とはいえども、崩れ落ち、殆ど秘匿性は失われた場所で、騎士と白面の彼は求め合っていた。
互いに必要な役割の場所だけを露出させ、幾度も激しく重ね合わせる。騎士の昂ぶりは容赦なくヴァレーを貫き、ねだるように揺らされる淫靡な腰の動きは快楽に爛れゆく場所を探り当てるかのよう、貪欲に騎士を呑み込んでは絡め取った。

「……ぁあ……っ! はぁ……っ、もう……!!」

限界を迎えた騎士の欲は、息が止まりそうなほどに強く押さえ付けた身体の奥深くへと、興奮と拍動そのままに注がれていく。
ヴァレーは壁に背を預けたままで荒い呼吸を整えると——騎士を見上げて満足そうに目を潤ませ、甘く息をついた。

それを見た騎士はまた、顔を赤くする。
教会の内壁に再び甘い喘ぎが響き渡るのに、そう時間は掛からなかった。