雌雄は遂に決した。空に咆哮が響き渡る。
幾度も死に戻り折れることなく挑み続けた炎竜は今、眼の光を失っても尚——誇り高い巨体を自らの炎に燻らせては堂々たる様で目の前に——地割れのような轟音を響かせ倒れ込んだ。そうして男はその心臓を無我夢中で抉り出し、空に掲げて叫んだのだ。
その晩、男は祝杯を上げた。酒をあおり、一心不乱に肉を喰らう。激しい戦いの後の飢えは、そうしてすっかりと満たされた。後はもう、人間の純粋な欲求といえば肉欲と睡眠欲を満たすだけだった。
例えば今、目の前にこちらを魅了し、肢体をくねらせて色を仕掛けてくる相手が居るならば何も文句はないだろう。
男の情慾を満たす相手はまさに今、目の前で彼をじっと見つめていた。頭から白布を被り、薄笑みを湛えた白面を備え、誘いを見せている相手を前にして。男はごくりと、喉を鳴らしていた。
男は、盗賊の長だった。
かつては掃き溜めのごろつきどもを束ね、狼藉を働き、各地で悪名を轟かせた。
背中の蠍の刺青で知られた男は、忌み嫌われる者の象徴として自らに施したそれを誇り、事あるごとにひけらかした。
私腹を肥やした者どもから金品を巻き上げ、手当たり次第に女を抱き、気に食わない奴は卑怯な手を使ってでも殺したのだ。
だがある日、腹心の部下に裏切られてお縄になり、遂には首を括られた。——筈だったのだが、何故かこの地で目が覚めた。
黄金の導きに従い、王になれと言う声が聞こえた。
だが、こんな悪党に王になれだとは。全くもって可笑しな話だ。まあ、碌でもない世界なのだろう。
意外な事に、かつて敬虔であったこの男は、恐らく自らは死にきれず、地獄と天国の狭間で審判を受けているのだと考えた。どうせ地獄行きなのだから、わざわざ審判などと勿体ぶるなと。だがここで過ごすうち、意識も徐々に覚醒し、肉体の感覚も首を括られる前とほぼ変わらない事に気付く。真面な人間にも出会わず、碌でもない世界という事にも変わりはない。依然何かに試されているのであれば審判にも似たようなものであろうが、元々は自らの欲に忠実に生きてきた盗賊の長である。ならば、この世界でも変わらずそうして生きてやろうと。
男は過去に思いを馳せながら、盃を傾けた。
目の前の白面に再び意識を向けると、出会った頃を思い出す。
この地に降り立った時に、初めて言葉を交わした人物。それが、この白面だった。初対面にもかかわらず、この相手は男に向かって「巫女なしの劣等」と侮蔑の言葉を投げかけた。今や部下など誰も居ないが、元々は盗賊団の長。初対面の人間に馬鹿にされ黙っていられるわけがない。男は白面に向かって喧嘩を売った。しかし、相手は敵意を向けられても尚、つとめて穏やかな声でこう言ったのだ。
「この私、ヴァレーに出会えて良かったのですよ」と。
その根拠なき自信に満ちた堂々たる振る舞いを見て、さしもの賊長もすっかりと毒気が抜かれてしまった。こいつは一体、何を言っているのだと。そうして「白面のヴァレー」に興味を持ったのが事の始まりとなった。この地で右も左も分からぬ男にとって、その言葉は確かに導きとなり行先を明るく照らした。
元来の疑り深さ故に相手を信用していたわけでは無かったが、そこは盗賊の長としての性だろう。どうにも見知った人間とは敵であれ味方であれ、人となりを知るために酒盛りの一つもしたくなるものだ。
そうして二人は、互いに酌をしながら酒を飲む仲となった。
とは言っても白面のヴァレーはご相伴に預かる程度で男が一方的に自らの戦果を報告するため酒席を設けるのが常だった。更にはある日の事。男が酔った挙句に手を出すと、白面は慣れた様子で戸惑うことなく彼を受け入れた。
男は酒が進む中——。熱を上げる身体を白面に寄せる。
ヴァレーはそれを横目で見遣るまま、軽く面をもたげると口元を露出させ、蒸留酒に口を付けた。それは決して、あおるような飲み方ではない。日頃の言葉遣いや所作と同じく、どことなく品がある。その仕草に、男はまた目を奪われる。
どのような生き方をしてきたのかと彼に尋ねてみた事もあった。だが、「気付いた頃から、ずっとこうですから」と毎度はぐらかされてしまうのだった。
数度、ヴァレーは酒の杯を傾ける。そこから見える口元には軽く、無精髭が覗いていた。
——そう、目の前で盗賊の長を相手に色を見せるこの白面は男なのだ。歳のほどは、互いに似たようなものだろう。
盗賊の男にとっては、欲を満たす事がその全て。身体の相性が良ければ性別などは瑣末な事で、大した問題にはならなかった。
例えば娼館で紫煙をくゆらせ、熟れた身体を持て余した香水塗れの商売女よりも、身売りされたばかりの痩せぎすの小姓の方がずっと具合が良いなどと云う事も、有り余る経験の中でよく知っていた。
「流石は貴方ですね。一人であの炎竜を倒すなど、そう出来る事ではありませんよ」
勝利の印として置かれている恐ろしくも美しい炎竜の心臓。それを目に、ヴァレーは熱っぽく男を誉めそやした。
白面の奥の瞳は僅かに興奮の色に染まり、やや潤んだように見える。
彼もまた、酔っているのだろうか? 誘いの雰囲気を纏わせている姿に当てられて、盗賊の男はもうすっかりとその気になっていた。
しなを作り、目の前でゆったりと寛ぐ肢体の稜線に視線を這わす。
ヴァレーとはこの襤褸屋で何度逢瀬を重ねたか分からない。僅かに上体を崩し、床についた手に体重を乗せている彼の肩を抱くと、軽く面に触れる。
白面は一瞬、身じろいだように見えた。そして、面に掛けられた手に自らの手を重ね合わせると、やんわりと——だが、気丈な意思を持って、その行為をたしなめた。
——どうにも、この「白面」は彼の砦であるらしい。
男は毎度、それを暴いてしまいたい欲に駆られるものの、未だ許されたことはなく。無理矢理に剥ぎ取る事も出来ようが、関係がこじれるのも面倒なので彼のしたいようにさせていた。だが、男は彼の面下に隠されている素顔をとうに知っている。
それはまだ、二人が情を交わす前の事。ヴァレーが身支度をしている時に、図らずもその面相を覗き見てしまったのだ。
面下の顔は、長くこの地で生きてきた者に相応しい、苦難の色を湛えていた。だが、元来は端正な顔立ちなのだろう。鼻筋はすらりと通り、彫りの深い柔らかな目元には、淡い金色の瞳が揺らめいていた。
彼の睫毛は全てが白く、色を喪っていた。それは白面を外しても尚、彼がその面の主である事を指し示すかのようであり、上下の瞼の縁をぐるりと囲む額縁のように、彼の目元を美しく飾り立てていたのだ。
男はヴァレーの素顔を目の当たりにした時に、少しの懐かしさと強い劣情を抱いた。いつか手を掛け、伽の相手をさせてやろうと思った。
盃を傾けていたヴァレーから、酒精を含んだ熱っぽい吐息がふう、と漏れる。軽く口を開けたまま、彼は無意識に自らの薄い下唇を、指でつうと撫ぜてみせた。
今や身体は強い酒の効能によって鈍く、ぼんやりと輪郭を失いつつある。それでいて、もたらされる刺激には敏感だ。
男の感覚もヴァレーの見せた光景を後追いするかのように疼き、甘い痺れを訴え始めていた。
白面の奥にある瞳で見つめられ、誘うような口や指先の動きを見せられて。またごくりと喉が鳴る。先の闘いの勝利によって湧き上がる熱量、滾る欲望が、ぐらぐらと身体の内に溜まっていく——。
篝火がパチパチと音を立て、煙を立ち昇らせていた。
襤褸屋の中には熱がこもり、肌はじっとりと汗ばんでいく。
逞しい二本の腕の影が、向かう相手へと伸ばされる。
ヴァレーはふわりと目を伏せた。この力強い腕がすぐに自らの腰を激しく揺さぶる事。そして、抑えきれなくなった男の欲が自らの体内にぶち撒けられるであろう事の想像に、胸が高鳴る。慣らされた腹の奥は、じりじりと疼いていた。
ヴァレーは抱かれた男の背に自らも腕を絡ませると——その肌をなぞるよう、服の下に指を差し入れてするすると這い進ませる。
男はこそばゆい感触に、身体をびくつかせた。ヴァレーの艶かしく動く手は、そうした反応を愉しむかのよう——装束の布地をゆっくりと掻き分けながら、徐々に下腹へと伸びていく。さらにその下の膨らみ、感覚が鋭敏になりつつある男の昂りの中心を掌に捕らえると、彼の喉奥から、ふふ、と期待に満ちた音が漏れた。
白面は尚もくすくすと笑いながら男の顔をじっとりと舐めるように見つめると、その上にあてがった手をぐり、と握り込んだ。
「——それで? 私の貴方。あれを使う気にはなりましたか」
盗賊の耳元に顔を寄せ、やや芝居がかった口調で囁いた。開く事のない硬質で冷たい口唇が男の耳にひやりと触れ、ざらついた低音が鼓膜へと絡み付く。その甘い声は脳髄を直接に震わせるような、情を煽る魔性の響きだった。
その囁きに、男の欲はさらに刺激されていく。
“あれ”とはヴァレーが示した導き。血に爛れた悍ましい指の事。それを使えば腐り切ったまやかしの道を外れ、この世の真実に見えることが出来るのだと。
男は疑い深く、そう簡単に他者を信じはしなかった。かつて腹心の部下に裏切られ、自らの命を落とす事になったのだから、それも当然のことだろう。
この白面とは身体を重ね、互いに情を交え相性を確かめてはいながらも、未だその本心には探りを入れていた。
「いや、まだだ」と、男は短く答える。
途端、ヴァレーの目が不機嫌に歪められ、大きなため息が聞こえる。男のものを握り込む手に、軽く力が込められる。
「はあ……。巫女だけでなく、意気地もないとは」
あからさまな嫌味を口にした、次の瞬間——。ヴァレーの視界は宙を舞い、襤褸屋の床にどさりと背をついた。男が彼の身体を、強く押し倒したのだ。ヴァレーはその衝撃に軽く目を細めた。だが、予想はしていたのだろう。さして意に介する様子もなく、言葉を続けた。
「この地に来て、貴方は随分とお強くなりましたよ。あの炎竜をも倒したのですから。同胞を狩るなど、造作もないことでしょう?」
先程まで下穿きをまさぐっていた手を頭上に縫い止められ、男に見下ろされながらも尚、彼は挑発的な眼差しを向ける。
——そうだ、その目だ。と男は思った。
何処か意識の奥底から、思い出せない記憶がじわりと滲んでは消えていく。
盗賊は押し黙ったまま彼の下穿きへと手を掛けると、乱暴な手つきでずり下げた。その性急な動きに、組み敷いた口元からまた、うふふ、と小さな笑い声が漏れる——。
その瞬間、男の頭を鮮やかな記憶が掠めた。
誘うような誰かの笑い声。
城下町の路地裏。
客引きをする女に僅かばかりのチップを握らせ、昏い小路に消えていく人影。
娼館とその中で艶やかに舞う女たち、それを眺める自分。
その横に居たのは——先程の笑い声の主——なのだろうか?
ふと、重苦しい毒花の甘い香りが漂った。
途端記憶は途切れ、意識が再び引き戻される。
その香りは露わにされた下肢、汗ばんだ、しっとりと柔らかな肌からふわりと立ち昇る香油のものだった。官能的な、重苦しい香り。それはミランダという人を襲う妖花の、まだうら若い蜜の匂い——。
白面は身を清める際にこうした香油を使い、すっかりと身体を慣らしておくのが常であった。
男はその匂いを肺の奥深くに吸い込み、先程の記憶をなぞっていく。やはり、過去をはぐらかしてはいるが、こいつはかつて男娼でもしていたことがあるのではないだろうかと、彼の周到さと自らの記憶とを繋げて、そう思った。
でなければ、余程の物好きということか。
用意が良いのは有り難いが、やはりどうにも食えない奴だ。
男の方も、ここまで来ては行為を先送りにする必要もない。下衣をさっさと脱ぎ払うと、自らを粗雑に扱いた。白面の視線が下の方に動いていく。それと同時に、しっとりと柔らかく手入れをされた滑らかな脚がするすると男の腰に向かい——その肌に纏わせるよう、がっちりと絡みついた。そうして白面は絡ませた太腿を蛇のようにぎゅうと締め付けると、雄を受け入れるための入り口と、熱く滾る男の欲望を重ね合わせるよう、逃さないようにゆっくりと引き寄せていく。
張り出した雄の先端が後孔の入り口にぐち、と軽い抵抗をもって押し当てられると、白面の目元が僅かに見開かれた。指で慣らさずとも構わないのかと云う思いが一瞬、男の頭をよぎる。だが、彼の身体から伝わる動きは早く挿れろとせがんでいるようで、男の方もそういう事なら遠慮は不要かと、のぼせる頭と重苦しい香りの中——しっとりと柔らかく慣らされた、ヒクついた割れ口へとひと息に自らの楔を穿ち込んだ。
「……んう……! っ、は、ぁ……」
ヴァレーの顔がぐいと反らされ、吐息が漏れる。
装束の隙間からは酒精に紅潮した喉元が覗き、その光景に男は酷く欲情させられた。首元の薄布をべろりと捲り上げると、ほんのりと赤く染まった喉笛に向けてむしゃぶりつく。肌に舌を這わせ、幾度も噛み付いた。装束の下に匿されていた喉元はじっとりと汗ばみ、男の舌にはやや塩気のある味が伝えられる。だが、今はそんな事すらも全て、欲を煽る要素へと差し替えられていった。熱くうねる体内に突き挿れた雄は脈打ち、さらなる硬さと質量を増して狭い肉壁を内側からギチギチと押し広げていく。
——喉笛に舌を這わされ、吸い付かれ、甘噛みをされながら後ろを犯される刺激に、ヴァレーは耐えかねて上擦った声を漏らしていた。男のものを咥え込んだ入り口は反射的にきつく締まり、白面の内に篭る湿り気を帯びた吐息の息苦しさが、彼の脳髄を痺れさせる。異物の挿入に合わせて肉壁は傷付かぬように柔らかく蠢いては侵入者をさらに奥へ、奥へと受け入れようとする。男の背に絡ませた太腿の内側は感じているといわんばかりにピクピクと痙攣し、紅く染まるつま先は有り余る快感を逃しきれず、弓なりに伸び切ったままふるりと揺れた。
男の方も——蕩けきった後孔に呑み込まれ、自らの雄がぎちぎちと締め付けられる快感に堕ちそうになっていた。強い性感に耐えきれず、貪っていたヴァレーの喉元から口を離すと大きく息を吐き、どうにか射精感を堪える。
自らの欲望の滾りをその身体に受け入れて、よがっている男を見下ろした。白面から覗く瞳は焦点が合わず、どろりと快楽に濡れている。目元からは押し出されるように涙が一筋流れ、面の奥へと消えていった。その素顔が今まさに、己が与えている快楽に感じ入っているのであろう事を想像して。そして、首元に覗く喉笛に散らした真っ赤な徴を見て、男の興奮は再び高められていった。
ヴァレーの身体は、この物騒な土地に長く身を置いているにしてはさして筋肉質でもなく、柔らかな脂肪の上には年相応の弛みがあった。男はその腰を鷲掴み、自らの方へと力任せに引き寄せては体重を乗せて肌をぶつけ、激しく打ちつける。肌を打つ音に混じり、ひときわ大きく、甘い鼻濁音が儚げに漏らされた。次第にヴァレーも、そうした声を押し留める事が出来なくなったのだろう。腸腔を押し広げているものが暴力的に出し入れされる刺激、肌を打つ音に混じるよう、堰を切ったような激しい喘ぎが襤褸屋から漏れ出していく。
人肌よりも熱く感じられる粘膜が混ざり合う感覚。互いの体液が肉壁の潤滑となり、艶めかしく泡立つ音。
男の雄が白面の体内に埋め込まれ、再び内壁を捲り上げながら乱暴に引き抜かれる度に——粘つき、白濁した体液が結合部を濡らしていく。
辺りは次第に暗くなり、二人の重なり、もつれ、乱れ合う身体の影が廃屋の壁面に生々しく映し出されていた。
今や白面の声は甘い鼻濁音ではなく、直腸を穿たれるたびに男を求める淫らな言葉を放ち、乱れた喘ぎを晒す事を厭わなかった。面から覗く瞳はただひたすらに甘く、快楽に溺れて焼き溶かされそうな程に熱く蕩けきっている。
ヴァレーの意識が飛びかけた、まさにその時——。
床に伏せられていた上体が男の手によってぐいと引き起こされた。体内を深く抉られたまま男の腹の上へと跨らされ、ヴァレーはまた大きな喘ぎを上げた。だが、彼は向かい合った男の身体を、先ほどの意趣返しだと言わんばかりに床の上へと押し倒すと——荒い息をついて男の顔を覗き込んだ。
「……ふふ。意気地なしと言われてこれだけ盛れるなら、まだ見込みはあるかもしれませんね」
先程までの乱れぶりなど気に留める様子もなく余裕を見せつけるかのよう、彼は独特の押し殺したような笑みを響かせた。身体を繋げたまま、横たわる男の胸に手をつくと、自らの腰を巧みに揺さぶり、体内に収められたものを扱きあげていく。性急な追い立てに男の顔は苦しげに歪み、鈍い呻きが漏れた。男はペースに呑まれまいと、目の前で揺れている腰を掴み彼の動きを制するように楔を突き上げる。あん、あんと仰け反り、痙攣した身体が悶えて尻の中を不随意に締め付けた。もう、射精感が堪えきれそうになかった。熱く絡みつき、搾り取るような腸壁の愛撫に包み込まれ、最大まで肥大して張り詰めた剛直が遂に限界を迎える。
どろりと濃く熱い精が、肉壁の行き止まりにだくだくと放射された。ヴァレーもまた、嵌められた腸壁の刺激だけで深い絶頂を迎えたのだろう。腹の奥を震わせ押し出されるように精を放つと、全身に広がる満ち足りた気怠さに酔いしれるように熱く、甘い息をついた。
全てが終わると白面は装束を整え、何事も無かったかの如く落ち着きはらって「——お次は何処へ向かわれるのですか」と男に声をかけた。賊長も手早く身支度を済ませると「成り行き任せだ」と手短に応じる。
襤褸屋の床に水跡を残すように散らされたどちらのものともつかない吐精の残滓だけが、先程までの行為が現実のものであったことをくっきりと物語っていた。
「そうですか。貴方の導きが、よからんことを」
白面が目元を緩ませると、二人の間を一陣の風が通り抜けていく。
盗賊の男は、珍しい事もあるものだ——と思った。血の指を使うよう、もっと熱を込めて勧められるのかと思ったのだが、今日はやけにあっさりしている。何か意図があるのかと訝しみはしたが、どうせ聞いたところで求める答えなど返っては来ないのだろう。その言葉の裏を気に掛けながらも、男は何も言わず、襤褸屋を後にした。
——数日後。
盗賊の男は、自らの身体の内に燻り出した変化に気付いていた。腹の底から湧き上がる、飽くなき強さへの渇望。それは自らが屠り、抉り出したあの炎竜の心臓を喰らいたいという、抗い難い欲求。声なき声に導かれ、いつしか男は竜の祭壇と呼ばれる場所に辿り着いていた。そこで彼はもう、自らの欲に自制を効かせる事が出来なかった。炎竜の心臓を祭壇へと捧げると、力を我が物にせんと貪り喰らった。
その後、男の内には新たな灯が宿っていた。「竜の力を求めよ」との導きが。男は声に従い、昼も夜もなく闘いに明け暮れた。そして遂には朱の腐敗の大地へと向かい、巨山の如き大老竜を手に掛けると——豪胆たる心臓を祭壇に捧げ、獣のように喰らったのだ。
全てが終わった時。
男は明らかに、自らの身体が前とは違う力で満たされている事を感じていた。飽くなき渇望、狂気じみた飢えがやっとの事でおさまり、人としての自我が戻りつつあったその時に、男はまた、白面の彼を思い出した。どうにかこの昂りをぶつけ、欲を鎮めてしまいたいと。
——白面はいつもと変わらず、教会の側に立っていた。
だが男を見る目は冷ややかで、何処か警戒の色が浮かんでいるようにも見える。
「ああ、私の貴方。お久しぶりです。それで、まだ試してはいただけていないようですね。私の贈り物を」
いつもの咎めるような、溜息混じりの言葉とは裏腹に、その声はどういうわけか弾んでいるようにも聞こえた。
ならば、先ほどの冷ややかに見えた眼差しは気のせいだったのだろうか?
彼の声に誘き寄せられるよう、盗賊はふらふらとにじり寄る。すると白面は再び厭わしげに目を顰め、じりと後退ったのだ。
「……貴方。ここ最近、ご自分の姿を顧みた事はありますか? その臭いといい、酷い有様ですよ。少し行けば身を清めるのに適した場所がありますから。一度、出直されてはいかがでしょう」
確かに、そう言われてみれば祭壇で心臓を喰らってからと言うもの、人としての営みなどとうに忘れてしまっていたような気がする。
男は視線を下に向けると、両手を目の前に広げてみた。肌は汚れで真っ黒に染まり、装束にはべったりとどす黒い血がこびりつき、あちらこちらで固まっては、饐えたような悪臭を放っている。成程、これは酷い有様だ。
男は湖畔へ向かうと、そのほとりで装束を脱いだ。汚れで固まっていない肌が見えた途端——彼は声にならない叫びをあげた。自らの足が、腕が、その皮膚が、うっすらと鱗のように、硬く変質していたのだ。驚きに、小盾の鏡面に自らの顔を映す。そこに男はギラリと光る、竜の瞳を見た。
男は再び叫び、盾を放り出した。
自らの身に何が起きているのか分からずに狼狽えていると、背後から聞き慣れた笑みが飛ぶ。
「……貴方、竜に取り込まれたのですね。ああ、お可哀想に。竜に取り込まれた者の行く末が、どうなるかをご存知ですか。飽くなき渇望はその身を苛む事をやめず——やがて身体は作り変わり、永遠に地を這う土竜と成るのだそうですよ」
「ど、土竜?」
放たれた自らの声は酷く低く、嗄れていて聞き取り難かった。土竜とはいつか洞窟の中で見た、灼熱の溶岩を撒き散らし、地底を這いずり回る、あの大きな醜い黒蜥蜴の事だろうか。まさか、竜の心臓を捧げ喰らったばかりに今もこの身体が、日毎あのような土竜に作り替えられているとでもいうのだろうか?
「俺は、どうすれば——」
声にならぬ声で、目の前の白面に問いかけた。
「ウフフフッ、貴方は既に、その答えをお持ちではないですか」
世にも嬉しそうに、白面は言った。男はまさか——と思った。
彼の言に依れば与えられる試しを全て終え、貴い血をその身に宿せば呪いを食い止め、竜の瞳を塗り替えることが出来るのだと。
「どれ程の時間が残されているかは、貴方次第ですが。——それで? 私を訪ねてきた目的は果たされましたか」
白面は、男の意図を見透かしたような視線を向けた。
湖畔の横の洞窟で、男は無我夢中でヴァレーの身体を貪っていた。行為は以前よりも激しさを増し、腰が打ちつけられる度に洞窟の中に喘ぎが響き渡る。半ば獣と化した男の理性にはもう歯止めなど効かず、ただ欲望のままに目の前の身体を犯し続けた。肢体の後ろ手を手綱のように勢いよく引き寄せ、幾度も深く挿し貫く。地面へと身体を押さえつけ、双臀の谷間へと力任せに体重を乗せては腸壁全てを虐め抜くように、絶え間ない律動を繰り返す。
男はヴァレーの思惑通りに動かされてしまった事がどうにも気に食わなくて、自らを誑かしたその相手に一矢報いてやろうと考えた。策を弄してまでこの俺を手駒としたいのなら、多少の無体は許されようと。
男は息も絶え絶えに喘いでいるヴァレーをひっくり返すと、ついにその白面に手をかけ——ひと思いに、それを剥ぎ取った。
ついに、白面の下の顔が男の前へと晒された。面の内にこもる熱が解き放たれ、ひんやりとした洞窟内の空気がヴァレーの顔を撫ぜた。彼は驚きに眼を見開いたが、それはすぐさま怒りへと変えられた。未だ男に体内を穿たれたまま、律動に漏れる喘ぎ声を堪えて白面を返すようにと懇願し、盗賊の男から顔を背けようとする。だが、力を得て獣と化した男に組み敷かれては、抗うことなど出来はしなかった。
賊長は今までに見た事の無い——ヴァレーの怒りを覗かせた眼差しを受けて、かつてない程に興奮した。その光景に溜め込んだ大量の精を容赦なく解き放つと、ヴァレーの口から一際大きな喘ぎが放たれ、腸腔内がビクビクと深く小刻みに波打つ。男の背に回された手に、力が込められる。それは面を剥ぎ取られた事への抵抗だろうか。ヴァレーの指先が、蠍の刺青をぎり、と強く引っ掻いた。
「——ツっ…!」
自らの象徴に、鋭い痛みが与えられた瞬間——。男は意識の下で燻っていた記憶をついに取り戻した。
かつて男を裏切り、絞首台へと送りつけた腹心の部下。
それは男が見初め、入れ上げ、伽の相手をさせるために一味へと引き入れた男娼だったのだ。絞首台へと引き摺られる時に知らされた事実。その男はかつて小姓であった自らを娼館に堕とした、蠍の刺青の男に復讐する機会を虎視眈々と狙っていたのだと。それを知った時に、盗賊は色に溺れて身を持ち崩すとはまあ、情けない最期だとあれだけ後悔したにも関わらず——また目の前の男にうつつを抜かした事で、自らの運命を取り返しのつかない方向へと導いてしまったのだ。
男が耽っていた一瞬の合間に、ヴァレーはその身を押し退けた。荒い息をつきながら、どうにか弾かれた面を拾い上げる。そして白面の内から男を睨み付けると、「この……! 巫女なしの劣等風情が……!!」と悪態をついた。
射抜くような視線を浴び、彼の本性を垣間見た途端——。
男の心の奥底に、黒い感情が沸き上がった。
こいつはやはり、内心では俺の事を嘲り蔑んでいたのだと。
それと同時に、腹の底から笑いが込み上げる。
——ああ。全く、色の好みというのはどうにも変わらないものらしい。おべっかを使い、上品めかして持ち上げる癖に、その実こちらを見下してばかにしていやがったのだ。
目の前の男がかつての部下とは全くの別人であろうとも、この世界が自らを呼びつけたのなら、この邂逅はもはや運命に違いない。今度は決して逆らわないように。何としても、奴を自らの手中に堕としてやろう。
背中の痛みを辿りながら、盗賊の男は剥き出しの欲望を内に秘めた。