初めは、馬鹿丁寧に導きに従っていた。
言われるがままに大ルーンを得て、やっとの思いで二本指の元に馳せ参じたのだ。
だが、指読みから齎された言葉はこのようなものだった。
”偉大なるエルデンリングは、黄金の律
それは世界を律し、生命は祝福と幸福を謳歌する
だが、それは砕かれてしまった
律の砕けは許されぬ大禍。それは当然の報いをもたらし……
今や世界は、生命は、どうしようもなく壊れている
呪いと不幸が蔓延っているのだ
だが大いなる意志は、世界と生命を見捨てない
お主たち褪せ人に祝福の導きをもたらし、使命を与えたのだ
褪せ人たちよ、お主らの持つ大ルーンは、エルデンリングの大欠片
それを、もうひとつ手に入れよ
そしてエルデの王となり、黄金の律を修復するのだ”
人ならざるものの有難い言なのだろう。人の身で口を挟むなど恐れ多い。
しかし身も蓋もない話だが、率直に「人でなし」かと。
人、人と諄いようだが、そう思ったのだ。
従軍医師、戦場の介錯者として今際の者に慈悲を与え続けてきた所為か。
死生観であれ何であれ、様々なものに疑いを持つ生き方が長すぎた。
人ならざる者の姿にもすっかり慣れてしまった。
知見が増えると言うのも考えものである。
円卓の最奥、大ルーンが無ければ入る事が出来ない二本指の間。
今ここで、二本指の言を伝えるエンヤという指読みの話を聞いていた。
滔滔と語られるその言葉は淀みなく流れていき、まるで聖書の一編でも聞いているかのようだ。
他の褪せ人達を横目に見る。中には有り難がってか額を地面に擦り付けるようにしている者も居る。
それは些かやり過ぎにしても、皆厳かに首を垂れ、身じろぎもせずに指読みの言葉を聞いていた。
二本指とは、大いなる意志の御使だ。
導きや祝福と云うからには、こうしてこの場に馳せ参じた暁には何かの神性が賜われるのではと淡い期待をしたものだが。
蓋を開けてみると、大層に御託を並べてはいるが、『一度は奪った祝福を、一方的に元に戻してやったのだから言う事を聞け』と、そういう話だった。
二本指は、今まで散々神人に肩入れしてきて、彼らに力を与えてきたのだろう。
自分たちのようなただの人間如きは、それこそ太古の昔から神々の都合に振り回されてきた。治世に従い、戦争に巻き込まれ、横暴に耐えざるを得なかった。
そうした中、女王の乱心によってエルデンリング、つまり黄金律が砕けた後は、大ルーンを求めたデミゴッド達の覇権争いが始まった。
世界は破壊し尽くされ、破砕戦争が起きて尚、彼等の決着はつかなかった。
デミゴッド達もそれぞれにかなりの痛手を負ったという。
そうして手詰まりとなった今、”褪せ人に祝福を戻してやったので律の修復のできないデミゴッド達は不要だ。奴等の代わりに大ルーンを奪い、黄金律を修復しろ”と。つまりそういう事のようだ。
神々の争いに、何故人が割って入れると思ったのだろうか。
祝福を戻して不死性を与えてやったから、それなら何度でも挑めるだろうと?
死に戻りを繰り返してまで強大なデミゴッドを屠る意志を持つ者が、一度は祝福を奪われて追放された”褪せ人風情”の中に果たしてどれだけいるのだろう。
——世迷言にも程がある。もはや、呆けているのか。
よくもまぁそんな天文学的な確率でも尚、実現しそうにない事を考えついたものだと、心の中で独り言ちる。褪せ人を呼び戻し続ければ、いつか一人くらいは為せるだろうと、そう考えているのだろうか。
ふと、場所を忘れて笑いが溢れそうになった。いけないいけない、と周りに目を走らせる。
すぅ、と息を吸った。
この部屋に通された一行は、こうした任に向いていると見えた。
めいめい重厚な鎧に身を包み、騎士に戦魔術師と、それこそ彼らは、二本指が求める勇猛な戦士像そのものなのだろう。
勿論、この『二本指の間』に来られたのも彼らのおかげだ。
戦闘要因では無い自分が此処に居るのは、偶々運が良かっただけだ。
自分は医師という事で医療の心得がある。
太古の医療教会の流れを汲む学舎で、学徒の時分は敬虔に学んだ身。それ故か祈祷には適性があったようで、簡単なものはすぐに身に付いた。
他の能力と比べて信仰心が高いと言われても、あまりピンとは来なかったのだが。
それこそ信仰心など、とうに薄れたような気がしていた。
医療の心得があり、祈祷を使える。いざと言うときの介錯も容赦なし。というだけで一行に声を掛けられ、同行する事になったのだ。
円卓には預言者や盗賊、囚人などおよそこのような任に不釣合いな者でさえひしめき合っている。
預言者は不吉な予言をするとして放逐された身であるし、盗賊や囚人は言わずもがなだろう。
後者のように、かつての悪人であろうと、褪せ人の人選はお構いなしだ。
神々にとっては、人の世の罪など、取るに足らないものなのだろう。
もちろん自らも、およそ戦闘には向こう筈も無い。
所詮使い捨て、守備よく適性のある者が居ればそれで良しと、そういう事なのだ。
未だ、滔々と語られる指読みの話に意識を戻す。
どうやら、話が終わったようだ。
不自然な姿勢を長時間続けていたからか、立ち上がる時に身体に鈍い痛みが走る。
そうして、二本指の間を後にしたのだった。
「あんたら、次も宜しく頼むよ」
指読みが此方の背に向けて放った言葉が、暗い部屋の中に響いた。
……はぁー。
やや疲れたとあってテラスの椅子に腰をおろし、大きな溜息を吐いた。軽く四肢を伸ばして、目立たないように体をほぐす。
これ見よがしに溜息を吐くというのはあまり品が良いものではないが、このように誰かの面前でもなければまぁいいだろう。
尤も、相手に不快感を示したい時には盛大に目の前でやってしまうものなのだが。
それにしても、祝福が戻った当初であれば、人の身でありながら二本指に見出されたのかと正直自惚れもあったのだが。
蓋を開けてみれば、誰でも良いので死に戻りながら神を殺しまくれという話だった。
自らの能力を顧みるに、それは厳しい。
死に戻り続けるのも率直に言って嫌だ。
傷付けられると痛みは普通に感じるし、人間は痛みを学習する。
なまじ医師としての知見があるからか、今どの様な致命傷を負っただとか、この後どうなって死に至るのだとか、色々と解ってしまう。
いくら祝福によって全ての生体機能が完璧に修復されたとしても、痛みの記憶が消える訳では無い。
またあの苦しみを、と思いながら格上相手に挑み続けられる者が果たしてどれだけ居るのだろうか。
物理的に砕かれたり、貫かれたり、引き裂かれて死ぬか、毒や腐敗で死ぬか、魔力で死ぬか呪いや狂い病で死ぬか。
全てに経験がある訳でもないが、どれも相当に苦しい。
痛みを感じない人間か、戦闘狂か、ドマゾくらいにしか適性はないだろう。
そしてそんな狂人が王になったところでやはり世界が良くなるとは思えない。それこそ混沌の始まりだ。
結局もうこの世界は終わりだ。あぁ、今こそが終末なのだろう。
——せめて死に場所や死に方ぐらいは、自分で選びたいものですね。
厭世的な考えが頭を覆う。
ふと、人が此方に来る気配がした。
「しけたツラしてそうだな、白面の兄ちゃん」
安っぽい終末に思いを馳せている自分に、一人の戦士が話しかけてきた。
ガシャガシャと大きな鎧の音を立てながら、許可もしていないのに隣にどかりと座る。
尤も、此方は白面と言われる従軍医師の装束に身を包んでいるために素顔は見えなかったし、『白面』の方が通りが良いので名前も明かしていなかった。
戦士たち一行も、数名は自己紹介をし合っていたようだが、鎧の見た目で判別が付くために取り立てて興味もない。
つまり、誰の名前も覚えていなかった。
面と向かって話すだけならそこの貴方、と二人称で用は足りるからだ。
「首尾よく行ったんだ。今日くらいはパァーッと行こうぜ」
デカブツの戦士が言う。彼もしっかりと兜の面を下げているので、素顔や年齢は判然としなかった。
「貴方、元気ですね……。今回の相手は相当にお強かったでしょう。指読みが最後に、”次も”と言っていましたよ。後どれだけこうした事を繰り返すのやら」
疲れている事もあり、油断するとつい語尾に溜息が混じる。
「それに、私のような非戦闘要員を抱えているのはリスクもコストも大きいのではないですか? 貴方がたは皆、大変優秀な戦士のようですから」
なぜ自分がこの一行と行動を共にしているのか、率直な疑問ではあった。
だが、話し始めてすぐにぶつけるには些か嫌味だろうかとも思った。
「何だよ、そんな事気にしてたのか。いじらしいじゃねぇか」戦士は大きな声で笑った。
「——いじらしい? まぁ、人を小娘か何かのように。随分と馬鹿にしてくれるものですね」
余計な話を持ちかけたのは此方の落ち度だったかもしれないが、茶化されるとは思ってもみなかった。
戦果に貢献していない事を少しでも気にしていたのが馬鹿馬鹿しい。
この身なり故か、侮られる事が多いのは日常茶飯事だったが、それに甘んじる程自分はお人好しでも善人でもない。
「では結構。貴重なお時間をどうもありがとうございました」
不快に席を立とうとしたのだが、直ぐに此方を引き留める声がした。
「おいおい、冗談だよ冗談。こんなもん褒め言葉みてぇなもんだろ。そんなすぐ怒るなって。
元より戦闘員じゃない事は百も承知だ。大食らいな訳でもねぇしコストも何もねぇよ。何よりあんたみたいなのがいてくれるとあの巫女さん達のお守りにもなんだろ?」
デカブツは性懲りも無く大きな声で言った。
「先ほどの言葉は、全く褒め言葉とは取れませんでしたがね。それに、別に怒ってなどいませんが」
そう、怒っている訳ではなく不愉快なだけだと自分に言い聞かせる。
確かに、一行のような戦士たちと比べると、自分は小柄で力も敵わない。
だが、事あるごとに目の前の彼に小馬鹿にされている気がするのは被害妄想なのだろうか。
自分も流せずに直ぐに反応してしまうのも良くないのかもしれないが。
「それに、お守りですか。まぁそうでしょうね。いざとなれば大事な大事な彼女らのために肉の盾ぐらいにはなれましょうよ」
彼女たちには、私たちのような不死性はありませんからね。と投げ遣りに言い放つ。
やはりと言うべきか、所詮はその程度の役割なのである。自分で蒔いた火種だったが、いざ言葉で突き付けられると面白くはなかった。
盾になる必要はねぇけどよ、と彼は快活に笑う。
何が面白いのだ。此方は真逆の心持ちである。
面白い事を言っているつもりは毛頭無いが、この戦士にはいつも笑われている気がしてならない。
「そう卑屈になるなよ」
戦士はまだ笑いを堪えきれずに言った。
「いや、まぁあんたに一番助けられてるのは俺なんだ。感謝してるんだぜこれでも。伝わってるかは分かんねえけどよ。状態異常はあらかたどうにかしてくれるし、いつもよく分からんギミックとかも前もって教えてくれるだろ。あれは俺と他の奴とだったら、真正面から突っ込んで蜂の巣だ」
そう言って彼は、首を切るジェスチャーをしておどけてみせた。
「いちいち引っ掛かって死に覚えるしかねぇし、何だったら二回目でも普通に忘れてっからな」
また戦士は大笑いした。
「ま、ありがとうってわけよ。これからも一つ頼むぜ」
「——はぁ」
間の抜けた声が漏れた。苛立ちで初めは話半分にしか聞いていなかったが、何だか毒気が抜かれてしまった。感謝されるとは意外だった。
「そういえば、あんたの巫女さんはどうしたんだろうなぁ。まだどこかをほっつき歩いてるのか、野垂れ死んじまってるか」
「まぁ、後者じゃないんですか? 別に大して御用もありませんし。それに、今いる者たちでお守りは手一杯ですよ」
巫女がいない褪せ人は、珍しくはあったが全くいない訳でも無かった。かつては導きが両者を出会わせたそうだが、巫女に不死性は無い上に彼女たちに戦う術はない。旅に出たとて賊か、獣達か、異形のものに襲われたらひとたまりも無いのだろう。
ご愁傷様です。と会った事もない巫女に告げた。
「それで貴方、この後はどうされるんです?」
褪せ人にとって、巫女がいることで得られる恩恵は多くあるが、いない事で得られる恩恵はほぼ無い。
あまり続けたい話題でもなかったので早々に切り上げる事にした。
元々戦闘に適性が無いのに褪せ人として選ばれている。その上巫女の恩恵を受ける事も出来ないというのはどうあってもスタートの時点で劣っているのだと、自覚せざるを得なかった。考えるだけでも気が滅入る。
幸い、戦士にとっても大した話題では無かったのか、話を切り上げようとした此方の問いかけに直ぐに応えた。
「あぁ。一旦解散して、次のデミゴッドの情報を集めたり、各地の探索だろうな。ま、俺は誰かと組んで回っても良いと思ってるんだが」
そう言って彼はこちらを見た。どうやら巫女も居ない、戦いも不得手であろう私に情けを掛けてくれているのだろうか。ああ、それは何ともお優しい事で。
皮肉はさておき、正直この後のアテも無かったし、渡りに船ではあったのだが。
思い通りになるのもそれはそれで良い気はしなかったので断ることにした。
デカブツと巫女の2人旅に水を差すのも真平御免だ。
それに、二本指の言には呆れた事もあり、もはや導きや祝福への興味もほぼ失せていた。
「そうですか。大変残念なのですが、私にもする事はありますからね。また必要な時にはエレの教会辺りに書き置きでも残しておいて下さい」
——尤も、巫女がいれば次第に能力も上がりますから、私を必要とすることなど無くなるでしょうけど。
つい余計な一言を付け加えながら席を立つ。我ながら、良い性格だと思う。
「そうかい。あぁ、そりゃ残念だ。まぁまた近いうちに声を掛けさせてもらうさ」
戦士は座ったまま両の掌を天井に向け、気落ちした素振りを見せた。いちいち大袈裟なのだ。
そうして、戦士たちの一行とは行動を別にしたのだった。
ごく稀に声が掛かれば探索に同行する事もあった。
この物騒な狭間の地を生き抜く術として、情報交換の伝手ぐらい残しておいても損は無い。
円卓には未だ行き来ができたが、最古参の褪せ人の一人である百智卿とやらが、二本指のお気に入りだとかで幅を利かせているらしかった。
御大層に一室を与えられて、一日中デミゴッド達の情報収集と思索に耽っているのだという。
居候をする者は去るようにと、彼の物言わぬ従者を使い、戦意を失った褪せ人達を追い立てているという話だった。
おかしなものだ、と思った。
円卓の一員と云えども根無し草の集まりだった筈だが。勅命やノルマが与えられれば、いつしか上下関係が生まれ、派閥が出来るのは世の常だ。
全く以って積極的に関わりたくは無かったので、ついぞ顔を合わせることはなかった。
向こうは向こうで、何故か此方の事を知っていたようだが、情報収集が生きがいだそうだから大方その辺の輩にでも聞いたのだろう。
此方とて積極的に素性は明かしていないものの、別に知られて困る事も無かった。実害がなければ何だって良い。
実害といえば——噂にしか聞かなかったが、二本指に仕える密使の集団が居るのだという。
彼らは『暗部』と呼ばれ、クレプスという男を長とする。
特有の祈祷を用いて暗闇に乗じ、導きを外れた褪せ人を葬ると聞いた。此方の方が余程厄介だと思った。
このような手合いが居る以上、わざわざ導きを外れますと、表立って宣言する者はないだろう。
自分も、一人で大ルーンを求めて突き進むだとかそんな事は出来ないしするつもりも無いのだが。だからといって、同胞狩りに狩られるほど悪質な背きにはならない筈だ。
幸い情報交換の甲斐もあって、洞窟の場所、砦、廃墟、襤褸屋の場所など、行動範囲内であればある程度は把握している。
褪せ人も定期的に新しい者が円卓を訪れているようだし、当面は情報提供者程度にはなれるだろう。
役には立つため、表向き円卓は利用させて貰うつもりだ。
円卓を出て、自然豊かなリムグレイブの地に降り立った。
また大きな溜息をひとつ吐き、空に目を遣る。
誰かが王になって治世を始めるまでは、この世界はずっと壊れたままだ。
従軍するにしても、褪せ人となるにしても、全く誰かに強制された生き方である。
せめてこの任の為にだとか、この人の為にだとか、生きがいの様なものがあれば張り合いもあるのだろうが。
仕えるはずの二本指はあの体たらくだ。
残ったデミゴッド達にも、もはやまともな者は残されていない。
生きがい、か。
もはや今生ではそのような事、望むべくもないのだろうと、黄金樹に向けて大きな溜息を吐いた。