綺麗なものには棘がある(前編)

 

「今日は朝から頼みたいことがあるのですが。街で、これを買ってきていただけませんか」

僕はヴァレーさんからお使いのメモをもらった。

「お安い御用ですよ。お使いぐらい僕にだって——えっと、なになに、うわ、またなっがい紙ですね……」

——医療用の包帯と、アルコオル、真鍮製のチューブ、綿布3ロール、ガラス注射器の箱、クサノオウ、ヘルバ、ヘリオトロープ、ベラドンナ……

う、難しい名前ばかりだ。一体何に使うんだろう。一見しただけではどんなものなのか想像がつかない品物の名前ばかりだったが、店の名前を書いてくれているからきっと何とかなる……だろう。

それに、最近こちらに入り浸ってしまっていたのでたまには都会の空気を吸って気分転換をするのも良さそうだ。

よし、そうと決まればちゃちゃっと終わらせて、少し自分もブラブラして帰ってこようかな。

「お昼は済ませてきていただけると助かります。ですが、あまり遅くならないように。それに、道中は何かと気をつけてくださいね」

「大丈夫ですって!」

僕はヴァレーさんにそういって手を振ると、意気揚々と街に繰り出したのだった。

 

◻︎◻︎◻︎

「——あれとこれと、えーと、次が最後か」

僕は大きな買い物の袋を抱えながら、なんとか
ヴァレーさんからのミッションを達成しようと頑張っていた。

お昼もとっくに済ませて、少し日も暮れてきただろうか。お使いはなかなか思ったよりも大変で、面白いお店をあちこち見て回れはしたものの、荷物も多いし、当初のゆっくり観光…とのアテはすっかり外れた。

ふと前を向くと、お店のショーウィンドウに綺麗な人形が飾られているのが見えた。

「わあ、ちょっと寄り道しても良いかな」

大きな荷物を落とさないように気をつけながら、僕はガニ股走りでお店へと向かう。
よくよくショーウィンドウの近くで見てみると、その人形は飾られているというよりも、ちゃんとベッドを用意されてそこに綺麗に「寝かされている」のだった。

——金の髪に真っ白の肌、薄く開かれた瞳と唇。すごい、この人形、まるで今にも動き出しそうだな。

ふと看板に目をやると、なんとそこが最後の目的地だった。

あ! ここが “アルベルツス専門店” か。

「ごめんくださーい」

ぼくは店に入り、声をかけた。

「——わあ」

その光景に、目を奪われた。
圧巻とはまさにこのことだろう。

店の中には所狭しと人形が置かれており、天井からは恐ろしげなモチーフの仕掛け人形たちがこっちを見下ろしていた。

部屋に鳴り響くのは歪みのついたオルゴールの独特の音色と、カタカタと回る振り子時計に仕掛け人形の戯れる音。
部屋の中には自動や手巻き式の機械人形たちがみっしりと並べられ、天井からは試作品の数々が吊り下げられていた。一見すると、ヒトの腕や足がぶらん、ぶらんと吊り下げられているようにも見える。
そのモチーフはどれも奇々怪界で、どのような用途や意図のものなのかは僕にはまるで分からなかった。

「誰かね」

人形たちの中から、しわがれた男性の声がした。

「わっ! びっくりした!」

その男は老眼鏡をかけているせいか、目だけが大きく誇張され、鷲鼻と小さく窄められた口元のお陰でなんだかフクロウみたいに見えた。

「あ、あの、ヴァレーさんのお使いで来たのですが」

「ああ、そうかい。それ、見せてもらえるかな」

僕は持っていたメモを店の主人に渡した。

店主が店の奥に向かって叫ぶと、奥の部屋から埃まみれの青年が出てきた。

「——わ、きったな」

多分聞こえていないとは思うのだが、初対面の人を前に思わず本音が漏れてしまった。

奥の部屋から現れた青年の髪の毛は蜘蛛の巣混じりの伸び放題で、目は隠れていてほとんど見えない。
着ている服も継ぎだらけの穴だらけで、まあ部屋の全ての埃を引き連れて出てきたという様子だった。歳のほどは僕と同じか、少し年上くらいだろうか。

「ヴァレーさんとこのだとよ、これを用意してくれるか」

「ああ、分かったよ」

青年はメモを手に取ると、また埃まみれの部屋へふらりと消えていった。

「お客さん、すまないね。整理するように言ってはいるのだがあいつはどうにも移り気でな」

しばらくお店の中で待っていると、外で何やら喧嘩をするような声が聞こえた。

店主の老人は小さく舌打ちをして言った。

「——ああ、うるさいのが来たぞ」

「だから! いつもいつもアポ無しで来るんじゃないって言ってるでしょうが!!」

「誰もお前の予定なんか把握してねえよ! 別に邪魔したんでもなし良いじゃねえか!」

ぎゃあぎゃあと言い合いをしながら男が二人店に近づいてきたようだ。
——何かトラブルの予感だろうか、僕は身構えた。

ガチャリとお店のドアが開けられて、夕方の突き刺すような陽の光が暗く、埃っぽい店内へと差し込まれる。逆光でその姿はよく見えなかったが、お店に入るや否や彼らはほぼ同時に店主に声をかけた。

「「すみません、ここにハンチング帽の少年はお邪魔してませんか——」」

聞き覚えのあるその声の主たちはなんと、ヴァレーさんのお屋敷仲間である経営者と調香師の男性だったのだ。

「あ。どうも」

「どうもじゃねえよ、お前は何時間かかってるんだ」

「いてっ」

経営者の男に頭を小突かれた。

「ヴァレーさんに様子を見てくるように言われたんですよ、お使いが遅いんじゃないかって」

「ええ?! す、すみません……」

そんなに寄り道なんかしてないつもりだったのになあ。

「あ、でも、もうここのお店で最後だったんですよ。今お店の方に用意をしてもらっているところで、」

「ああ、そうかい、結構な事だ。ここで最後じゃなかったらもう一発殴ってるところだよ。
あ、爺さんよ。店の用事がなかったら坊ちゃんと一緒に屋敷の方に来ないか、だとよ。食事は俺が出すぜ」

経営者の男と店主の老人が話しているうちに、先程の埃まみれの青年がいくつか小箱を持って戻ってきた。
店主の老人が青年に話しかけると、老人がこちらに向き直って言った。

「久しぶりだが、ぜひお邪魔しようかね」

 

◻︎◻︎◻︎

「ヴァレーさん、戻りましたー」

「おや、貴方随分と遅かったですね。お願いしたものは買って来られましたか」

「ええ、もちろん——」

ヴァレーさんが大きな荷物を持った僕の後ろに目を遣る。

「ああ、みなさんどうも、お揃いで。店のお二人も来られたのですね。丁度いい機会ですのでご紹介しましょう。先ずはどうぞ、お上がり下さいな」

僕たちは広間に通されるとめいめい場所を見つけて腰掛けた。
経営者の男は食事の用意だと言って席を立った。

「こうして王朝への信徒、血の指が仲違いもせずに一堂に会するのは珍しい事です。尤も、今は一人離席していますが。
私も随分と長く生きてきましたが、6名もの信徒をこうして同じ時代に集められたのは初めてのことです」

僕はヴァレーさんの話を聞いて指折り数えてみたが、あれ、一人足りないんじゃないかな、と思った。

「もうすぐお食事もできますから、今一度、此処にある者たちで王朝への忠誠を誓いましょうか」

そうして、僕に向き直ると、店のお爺さんと青年の事を紹介してくれた。

「少し時間もあるようですから、ご紹介とさせていただきましょうか。お二方、こちらが先日お話ししていました、記者の方です。そして記者のお方、こちらの彼は古い医師であり、占星術師であり、今は機械人形の製作にも長けています。お会いした時にはすでに私よりも見かけ上のご年齢は上でしたから、古いよしみで教授(メイスター)とお呼びしています。お店も構えていらっしゃるので、屋号で呼ぶ方も多いですね」

「そして、こちらの御子息が人形師です。血は繋がっておらず、人形師としてもまだお弟子さんと言う位置付けだそうですが。そして、つい最近血の指に志願してくださいました。尤も、彼も記者の方と同じく未成年で——」

ああ、そうなんだ。そしたらお店の青年と僕とは1つか2つ違いだろうか。ん、まさか年下という事はないだろうな。
そう考えていると、調香師の男がパッと顔を上げてヴァレーさんを見る。

ヴァレーさんは彼に向けて何やら目配せをしていたようだった。

(——ええ、ですから、まだ、ね)

「そう、御子息は今は人形師見習いですが、元々は呪術の知識に長けているようです。呪術というと恐ろしく聞こえますが、毒物の取り扱いを心得るというのは現代の医療に於いても非常に有益な事なのですよ——」

僕はヴァレーさんにずっと聞きたかった事を思い出した。今が好機かもしれない。

「あの、ヴァレーさん。そういえば、今日の買い物は医療関連のものが多かったですが、ずっとお屋敷にいらっしゃるのにこんなに沢山医療用の物資を使うことはあるんですか?」

「ええ。私は面倒ごとを避けるため、出来るだけ外の世界とは関わりを持たないようにしていますが、やはりある程度の生活の糧は必要になりますからね。こちらの教授が色々と仕事の手配はしてくれるのですよ。修復、保存の医療——と言いましょうか。相手は生きた人間ではありませんから、当然に私の素性も分かりません」

「え、死体に、医療、ってどういう事ですか」

「おや、記者のお方はその手の話には詳しいと思っていたのですが。まあ、確かに方法が確立されたのはここ最近の事ですからね。興味がおありでしたら、一度ご覧になりますか」

ヴァレーさんはそう言ってくすくすと笑った。

「い、いや、僕はオカルトは好きですがホンモノは、ちょっと、」

実のところ僕は死体やなんかは「大の」苦手なのだ。まだ見ぬ怪物や幽鬼の話は大好物なのだが、ことホンモノの人間の事件だとかご遺体だとかになるとからっきしダメなのだった。

「そうでしたか。それは残念ですね。あれは解剖医療などととも通じておりますし、仕組みが分かると非常に興味深いのですよ。かつてのように、医療と云いながらただ手足を切り落とすだけのものであったり、戦場の介錯者などと呼ばれるよりはよほど名誉なことです」

「そういえばヴァレーさん、その装束は従軍医師の頃のものだと初めに会ったときに仰っていましたね」

「ええ。全て、前世の記憶を辿りながら設えたものですが、やはり、古い習慣というのはなかなか捨て去れそうにはありませんからね。それに王朝の使者としてもずっとこの姿でおりましたから」

ヴァレーさんはそういうと、小さく息をついた。

「少し話が逸れましたね。ちなみに、彼らのお店のご婦人をご覧になりましたか?あれは教授の奥方なのですよ」

「え、あのお人形がですか?ま、まあそれは良いご趣味ですね」

「フフッ、先日は調香師の彼の事をすでに新聞の記事から知っておられたので色々とご存知で察しのよいお方かと思っていたのですが。今日は些か勘が鈍いようですね」

「ど、どういうこと——あ、え、まさかっ」

ヴァレーさんの目が白面の奥でわずかに細められた。

「ええ。そのまさかですよ。奥方は若くして疫病で亡くなられたそうなのですがね。教授が解剖学者のお弟子であった頃に、その学者先生に保存修復をお願いしたのだそうです。すでに半世紀以上が経ちますが、教授の奥方は変わらずに美しい姿のままなのですよ」

「あ、れ、ホンモノ、なんですか」

「——ウフフッ。ああ、良い匂いがしてきましたね。そろそろ晩餐のお時間でしょう。
どうぞ、皆さんもそちらのテーブルに御付きになってください」

ヴァレーさんはそう言うと、目の前でパチンと手を叩いて話を切り上げた。

僕たちはめいめいが横長のテーブルに付いて、美味しいお肉とパンと、飲み物をいただくことにした。

「それでは、王朝への祈りを捧げましょう。我らの君主が再誕し、王朝の開闢に見えるその日まで——」

僕たちは皆「血の指」としてヴァレーさんの言葉を復唱し、王朝への祈りを捧げたのだった。

正直、秘密結社の密会みたいでドキドキしてしまった。
ここで起きたことについて他言は無用だとは言われているけれど。僕の日記に書き留めておくくらいはきっとお目溢ししてもらえるだろう。

「——さあ、どうぞいただきましょう」

そうして皆は思い思いに目の前の食事に舌鼓を打ったのだった。

うーん。
だがしかし、僕はというものの。
ああ、初めて食べた時はあんなに美味しかったお肉なのに——。
実は、僕の脳裏にはあの綺麗なご婦人の姿がくっきりと焼き付いて。

それはそれはもうげっそりと食欲がなくなってしまっていたのだった。

 

◆◇◆◇◆

咽せ返るような、甘ったるい香の匂い。
ヴェールのような、馨(かお)りの薄衣がゆらゆらと揺蕩っている。
目を瞑り、すぅ、と肺の奥深くまで、その香りの粒子が行き届くようにと、深く、深く息を吸い込んだ。

ほぅ、と息をつく。

——もう少し、調整が必要だろう。

今度の香薬は、月下香(チュベローズ)をベースに。
合わせるのは、霊猫香に没薬、竜涎香に安息香か乳香か——

麝香に薔薇、マグノリアなんかも良く合いそうだ。

古今東西の貴重な香料を、私財を投げ打って方々から掻き集めてきた。
この馨りに身を委ねている間は、高揚感、充足感、抱擁、悦楽。
愉悦の海に飲み込まれて重く、深く、沈みこんでゆくような、そんな心地がした。

パチン、と何かが爆ぜる音が聞こえ、はっと、意識が彼岸から此岸へと引き戻される。

目の前の蒸留器はしゅうしゅうと音を立て、その上にくべられた木片ーおそらくそれに含まれる異物が爆ぜたのだろう——が小さく机の上に飛び散っていた。

私はそれを手早く片付けると、蒸留器に水を差し、また刻々と姿を変えていく馨りの美神を追いかけることにしたのだった。